第四章

(3)


「あ、あのっ! 昼間怪我をした方々はどこにいらっしゃるのですか!?」

***



 あの状態から逃げ出すために出した言葉は、実のところただの口実ではなった。
 昼間怪我を負った兵士の様子が気になってはいたし、セシリアに誘われなければラーラに頼んで連れて行ってもらおうと思っていたのだ。
 ラティアリスの申し出に、レグシアは呆けたようだが、すぐに彼女から身を離して、案内をしてくれた。そのさい、背中を向けた彼がやけにながーいため息をついた気がするが、その真意はわからない。
 それだけではない。彼の行動の真意も分からない。
 なぜ、自分にあのようなことをしたのか。思い返せば、自分は彼の国の王に嫁ぐものだ。からかいにしては冗談が過ぎるような気もした。
 けれども、ラティアリスの頭からあの瞳の色が離れてくれない。太陽のもとに照らされる、美しくて壮大な海色の瞳が―――。
「姫、こちらですよ」
 レグシアの言葉に、ラティアリスは我に返った。
 結局、ここまでの会話はないも同然だった。レグシアからラティアリスに距離を置いていた気もするし、ラティアリス自身も彼に距離を置いていた。気まずい空気が流れていたのだ。
 たどり着いたそこは、質素な扉の部屋だった。レグシアが扉を開けてくれ、中に入る。部屋は広めで、10人ほどの兵士たちが、各々規則正しく並べられたベッドの上で横になっていた。
「失礼、します…」
「?! 姫様、それにアサギ様も…」
 突然の来訪者にいち早く気付いたのはイグレシオだった。彼は驚いた顔で二人に駆け寄ってくる。そういえば彼は広間にはいなかった。ここで部下の様子を見ていたのだろう。
「こんばんは、イーグ様。お邪魔いたします」
「い、いえ、お気になさらないでください」
 申し訳なさそうに、けれども優雅にお辞儀をした王女に、イグレシオは戸惑いつつも言葉を述べる。イグレシオはどうして彼女が来たのか理解できないようで、それを問うようにラティアリスの後ろにいるレグシアに視線を向けた。
 しかし彼は音にするのではなく、ただ肩を竦めるだけにとどまった。
「申し訳ありません、私がアサギ様に頼んで連れてきていただいたのです…。兵士の方々のことが気になって…。ああ、皆さん、寝ていて下さい。私が勝手にお邪魔しているのですから…」
 ラティアリスはベッドに横になっている兵士たちの方を見る。何人かは眠っているようだが、起きている者たちは、慌ててベッドの上から起き出していた。それをみてラティアリスは彼らを制すように言う。
「姫の言う通りだ。寝ていろ」 
 それでも戸惑う彼らに助け船を出すようにイグレシオが声をかけた。すると彼らも渋々寝床に身体を戻していった。それを見てラティアリスはほっと息をついて、わびの気持ちを込めながら彼らに頭を下げた。
「あの、大けがを負った方は…」
「え、ああ、あちらの奥です。医師がついています」
 イグレシオが指したそこは、部屋の一番奥で、ラティアリスと会話を交わした軍医がベッドの横に座っていた。ということは、そこに眠る兵士が、昼間重傷を負ったものなのだろう。
 ラティアリスはイグレシオに軽く頭を下げてそこへ向かっていった。イグレシオもレグシアもその場にとどまり、ラティアリスの様子を見つめていた。
「今晩は、軍医様」
「ああ、姫様…このようなところにお越しくださるとは…」
「いいえ、彼らのけがの原因は、もしかしたら私にあったかもしれませんし、命をかけて守ってくださったのですから…」
 ラティアリスのつらそうな顔に、軍医は何も言えず、ただそっと自分の据わっている椅子を彼女にさし出した。ラティアリスは悪い気もしたが、礼を言ってその好意に素直に従った。
 ベッドに眠る兵士の顔を覗き込む。顔色は昼間より良くなっているようだ。自然と安堵の息がでた。
「王女、様?」
「はい、起きてらして大丈夫ですか?」
 兵士はラティアリスに応えるように、ふっと笑んだ。心遣いに感謝しながら、ラティアリスも微笑み返す。
「昼は、ありがと、ございました…。馬車に…」
「いいえ、当然のことです。それに、感謝の言葉をのべるのは私のほうです。ありがとうございました」
 ここまで来たときの詳細を、誰かに聞いたのだろう。だが、感謝するのは自分の方だ。守ってくれたのは彼らなのだから。
 それを見ていた軍医が、そっと会話に入る。
「彼は、ある程度傷が癒えるまでここで看てもらうことになりました」
「そうなのですか…。一緒にサイアルズへ入ることはできませんが、傷が癒えたら会いに来てください…」
「あ、ありがとう、ございます。ぜひ…」
「お名前をお聞きして、よろしいですか?」
「アドス、ともうします…」
「アドス様、お待ちしております」
 微笑むと、彼も微笑み返してくれた。ラティアリスはこれ以上傷に触らないようにと席を立ち、軍医やアドスに礼を言ってそこから離れた。そしてほかの兵士たちにも声をかけ始めた。
 そしてレグシアとイグレシオが、その様子を眺めていた。
「驚きましたね、まさか王女自らこちらにお越しとは…」
「そうだな、余程兵士たちの様子が気になっていたんだろう」
 そう答えるレグシアだったが、実のところ思案しているのは別のことだった。
 それはつい先ほどのこと。彼女からの申し出がなかったら、自分は何をやっていたのだろうか…。考えてちょっと恐ろしくなった。
 胸に抱く気持を認めて、歯止めが利かなくなってきたようだ。そんなバカ正直な自分に本気で呆れた。
「アサギ様?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「…姫となんかありました?」
「ぶっ!」
 頭を抱えた主に、訝しく思ったのだろうイグレシオが直球を投げつけてきた。思わず動揺するのは仕方がないことだろう。顔を赤くした馬鹿正直な王に、イグレシオは呆れた表情を向けた。
「内容までは、私はセシリア様と違うから聞きませんけどね。せめて城に着くまで自重してください。ただでさえ、彼女はあなたのことを知らないのですから」
「うるさいな」
 ぎっと睨みつけるが、青年将軍は素知らぬ顔だ。自分に理があることを認識しているからだろう。レグシアもレグシアで、それが分かっているからまともな言い返しができずにいた。
 建国神話に対し、ただの伝説だ、とどこか悲しそうに言った彼女を見ていたら自然と手が伸びていた。月明かりに照らされる銀の髪が、透き通るような美しさを輝かせ、吸い寄せられた。手にした髪は柔らかで、自分を捉えて離さない何かがあった。
 そんな自分の行動に、彼女はあたふたとして、男慣れしていないことがありありと見えた。素直な反応を見せる彼女がかわいくて、なんだか嬉しくて、からかい半分髪に口づけた。それに驚いたのだろう彼女は、慌てて自分から逃げるようにして飛び退いた。それでも、その先どうしていいか分からずその場にとどまっていた。
 動揺はその表情を見れば明らかだ。どこか怖がっているようにも見えた。
 自分の中でまだ悪戯心は続いていた。馬鹿だったと思う。広げられた距離をいとも簡単に詰め、彼女を見つめた。そして月明かりを遮断された彼女の瞳にやけに吸い寄せられた。
 藍色の瞳。
 その色に、確かに吸い寄せられ、いつの間にか顔を近づけていた。
 彼女が言葉を発しなければ、恐らくことに及んでいただろう。止められたことと、自分の行動に、長いため息をついていた。
 彼女は何も言ってこないが――いや、言ってくることができないのが正解だろうが、そのことに少し安堵した。問い詰められれば、また逆に行動を起こしそうだ。また藍色の瞳と眼が合えば、吸い寄せられてしまう気がする。
 自分の行動を戒めようと誓っている主に、念を押した青年の声がかかる。
「とにかく、今は王女と距離を置いてください。国に帰っても自らを明かさないというのであればなおさらです」
 周りの兵士のこともあるからか、一応小声で言ってきたが、逆にそれが癇に障った。今まさに誓っていたところであるからなおさらだ。
「うるさいっていってるだろ。じちょーしますよじちょー。それでいいんだろっ」
 子供のような拗ねかたに、イグレシオは呆れたため息しか出ない。
 彼が昔から決まった恋人を作らないことに心配していたが、想い人ができたらできたで心配になってきた。普段、冷静且つ公正な判断のもと政務をおこなっている彼だが、その反面は子供っぽいところがある。今の様子を見ていると、その子供っぽさに磨きがかかっている。
 からかい過ぎるのも問題なのだろう。
「なんだよ、言いたいことがあれば言えばいいだろ」
 ため息しか吐かない従弟に業を煮やしたのか、レグシアが噛みつくように言った。そんな王に、イグレシオはやはりため息まじりに口を開いた。
「ではもうひとつ」
「あん?」
「少しは大人になってください」
 5つ年下の従弟の言葉は、レグシアに十分なダメージを与えた。

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