第四章

(1)


 ヴァレスについて、その日の夜。寝るにはまだ時間があったラティアリスのもとに、セシリアがやってきた。
「なあ、姫。剣の演武に興味はないか?」
 ラティアリスの部屋を訪れて開口一番、彼女はそう言った。突然の質問に、ラティアリスは目を丸くしたが、セシリアはにこにこと笑っている。
「さあ、見たことはないですね」
 たまに国でも腕っ節が王や貴族たちを喜ばすために、刃引きしたもので戦いを見せていたようだが、ラティアリスがその場に招かれることはまずなかったし、オーリオもそのようなものを主催したことはなかった。オーリオが剣の稽古をしているのを見ている程度だ。
「そうか、ならばぜひ来てくれ。まあ、演武と言ってもただの手合わせだがな」
 返事を待たず、セシリアはラティアリスの腕をつかむとずいずいと彼女を引っ張るように歩きだした。ラティアリスも断る理由はなかったので素直についていった。ラーラもその後ろに続く。
「手合わせ、ですか…」
「ああ、兵士は血の気の多い奴らだし、多少お遊びをして色んなものを発散させる必要があるからな。型も何も気にせずに、大けがをしない程度に暴れ回るだけだ」
 セシリアは何気なくいうが、なんだか怖い言葉が聞こえて来たのは気のせいだろうか。まあ、確かに大けがをしない程度ならかまわないかもしれないが…いやしかし。
「途中で色々あったが、ヴァレスに入ってやっと息をつけたんだ。多少の息抜きは目をつぶらなければならんしな」
 いろいろ、とは襲撃のことだろう。それを聞くと、胸の中に靄が広がった。だが、セシリアは気にしていないようで、要塞の廊下を進んでいく。
「かくいう私も、実はそういうことが好きなのだ。剣は、色々なことを教えてくれるし、色々なことを忘れさせてくれる」
 廊下の窓から差し込む月光で、セシリアの横顔が照らされた。剣について語る彼女は、女将軍、そう呼ばれる姿がよく似合っている。
 セシリアは将軍として数多の戦場を駆け抜けてきたのだろう。ラティアリスは戦場の恐ろしさも、虚しさも知らない。けれど彼女はそれを知っている。だからこそ美しく照らされている気がした。
 そんな彼女の横顔に見惚れていると、次第に騒がしい一階へとたどり着いていた。ヴァレスの兵士たちやサイアルズの兵士たちが一緒になって騒いでいる広間へ入る。
 そこの熱気に、ラティアリスは圧倒された。酒の匂いに、汗のにおい。そして活気ある兵士たちやそこで働く女性たちの笑顔。
 彼らが、自分たちの国を守ってくれているのだ。
「ああ、そんなに警戒しなくていい。なにかあれば私やラーラがあなたを守るから」
 圧倒されて息を呑んだラティアリスに対し、セシリアは優しくいう。その笑顔に、ラティアリスはほっと息をついた。
「あ!セシリア様! あっれー姫様連れてきちゃったんですかー」
 声をかけてきたのはキイスだ。酒の入ったコップを片手に声をかけてくる。
「いいんですか? アサギ様やイグレシオ閣下に怒られちゃいますよ?」
「大丈夫さ、演武を見せたらすぐに連れて戻る」
「…演武って、あれはただの喧嘩でしょ」
「見方は人によって違うものだ」
 にやりと笑って見せたセシリアに、キイスは酒で顔を赤くしながらも呆れた。しかしセシリアは顔色を全く変えることなく、むしろ面白そうに笑う。
 奥に目を向ければ、広くスペースをとった場所で兵士二人が剣を持って戦っていた。斬りかかっては防ぎ、防いでは斬りかかり。当人たちは面白そうに剣をふるい合っていた。周りからは歓声が上がる。
 セシリアはラティアリスの手を離すことなく、そちらの方へと足を進めた。ラーラは冷静に、かつ周りに目を配らせながら、キイスは慌てて、二人の後を追いかけた。
「こういうところは初めてかな?」
「はい。こんな所もあるのですね」
「気分は悪い?」
「いいえ、見ていて少し楽しいです」
 正直に答えると、セシリアは度胸があると笑った。
 確かに入った時は驚いたが、兵士たちの素顔が見ている気がしてなんだか嬉しかった。笑い合ったりする人たちを見ているのは楽しい。
「セシリア殿っ!」
 ある程度人込みをかき分けてやってこれば、そこにいたのはアサギ…ラティアリスは知らないが、サイアルズの王レグシアだった。彼はラティアリスを連れてきた妹に、青くなる。
「こんなところに姫を連れてくるなんてっ!」
「大丈夫だって、姫も興味津々だぞ」
 勝ち誇ったようなセシリアのいうとおり、ラティアリスは演武、というよりはただの打ち合いを眺めていた。
 それを見たレグシアは思わず頭を抱えた。こんなところをイグレシオが見れば、胃を痛くしたに違いない。
 彼が生真面目な性格で、怪我人やこの場にいない兵士たちの見回りに専念していることに少し安堵した。
「こんばんは、アサギ様」
「こ、こんばんは」
 笑顔で挨拶をすると、レグシアは少し眉間に皺をよせ、しかしちゃんと返してくれた。なんだかぎこちない気がするのは気のせいだろうか。
「剣の手合わせなど、面白いものでもないでしょうに」
「そうでしょうか…」
 呆れたように言われ、ラティアリスはおもわずしゅんとなった。なぜか彼に失望されることが虚しかった。
 ラティアリスも剣に抵抗はある。昼間のこともあったし、剣は人を傷つける武器だ。あまり気持ちのいいものでもない。けれども、彼らがあまりに楽しそうにするので、剣はそこまで悪いものでもないと思えたのだ。
「あ、いえ、姫がいいというのならいいのです」
 ラティアリスの様子を見たレグシアが、慌てていう。その顔には焦りと困惑が見えた。
「ヘタレめ」
「黙れ」
 セシリアの情け容赦ない突っ込みに、レグシアはぎっと睨み返した。だが、彼女は動じない。
 するとカンっという音とともに、兵士の手から離れた剣が舞った。それはクルクルと回って誰もいない場所へと落ちた。どうやら刃引きしたものらしい。
「お、決着がついたようだな」
 セシリアの言うとおり、剣を持っている兵士が、尻餅をついている兵士に剣先を突き付けていた。負けた兵士は悔しそうだ。
「さて、じゃあ次は私たちの番と行こうではないか、アサギ殿」
「あん?」
 セシリアは腰に掛けてある鞘に入った剣を帯こと外すと、傍にいたキイスに押し付け、立てかけてある刃引きした剣を手に取った。彼女の行動に、レグシアは首を傾げる。
「おや、私との勝負は嫌かね?」
「そうじゃなくて、今日はただ、酒飲みに来ただけじゃ…」
「ほーお、アサギ殿は私に負けるのが怖いと見える。なんとまあ男のくせに情けないものだな」
「なんだと?」
 女将軍の挑発に、レグシアの眉がぴくりと動く。二人の不穏な空気に、ラティアリスは思わずたじろいだ。
「あーあ、姫の前でいい恰好を見せようと彼女を誘ったのに、相手がこうでは私の雄姿を見せられないではないか」
 彼女の大げさな、芝居がかった様子に、レグシアの青筋が額に深く刻み込まれる。すると周りからもヤジが飛んだ。
「兄ちゃんやれよっ! まさか女に負けるのが怖いのか? いやいや彼女はサイアルズの女将軍何だろう? 負けたって恥じゃねえさっ!!」
 声を上げたのはヴァレスの兵士だ。それに乗るように、セシリアはにやりと笑う。
「ああそうか、私にやられたところを姫に見られたくないのだな」
 ぶち。
 レグシアの中で何かが切れる音がした。
「いいだろう、やってやろうじゃないか。あとで吠え面かくなよ」
「その言葉、そっくりそのまま返してやろう」
「あーあ、始まった」
 レグシアも剣ごと剣帯を外すとセシリア同様キイスに押し付けた。二人の様子にキイスは長いため息をつく。
「だ、大丈夫なのですか、おふた方は…」
「あーいつものことっすよ。セシリア様がふっかけて、アサギ様がキレる。アサギ様もアサギ様で、子供じゃないんだからそんな簡単に挑発に乗らなくても…」
 イグレシオ閣下がみたら、血吐いちゃうんじゃないですかねー。とキイスはもう諦めたのだろう、口調に力がない。
 ラティアリスの心配をよそに、レグシアもセシリア同様刃引きした剣を手にとって、彼女と向き合った。
「後悔するなよ」
「どっちが」
 皮肉のいい合いを合図に、二人は同時に踏み込んだ。刃引きした剣がぶつかり合ういい音が広間に響く。歓声が一斉に上がった。
「これであなたとの試合は254つ目だったかな?」
「見物人がいないものを含めると、もう300を超えるんじゃないか?」
 剣で押し合い、二人は一歩も引かない。だが、先に動いたのはセシリアだ。重点をずらしてはじき返す。その拍子によろめいたレグシアの隙を見逃すことなく、セシリアは斬りかかった。だがすぐにレグシアは体制を整えて剣をふるう。
 何度も何度も剣同士がぶつかり合い、音が響く。お互いは一歩も譲らず、剣をふるい続けた。どの剣筋も鋭く、速く、剣術に対して何の知識のないラティアリスでも思わず魅入ってしまう。
 レグシアは眼鏡のおかげであまり剣が得意そうに見えなかったが、思えば彼は木の昇り降りも身軽にこなしていたし、昼間敵からラティアリスを守ってくれたのだ。
 まるで舞っているようだ。キイスはただの喧嘩と言っていたが、とても綺麗な舞を見せられている気分になる。オーリオが剣の指南を受けていることを何度も見たし、オーリオ自身の剣術の技術も高いと言われていたが、二人はその比ではない気がした。
 ラティアリスに限らず、酒も手伝ってか兵士たちが二人の演武に喝さいを送っていた。
 両者は一歩も引かない。
「お二人は、とてもお強いのですね…」
「ええ、お二人とも、サイアルズでは五本の指に入るくらいの腕前をお持ちですから」
 感嘆ともいえる呟きに答えてくれたのはキイスだ。先程まで呆れていたキイスも、ラティアリス同様二人の演武に見惚れている。
 拮抗していたが、次第に二人の剣筋に乱れが見え始めた。いや、乱れ始めたのはセシリアだ。剣撃の軽さや、体力の低下が原因だろう。息が荒くなる。男女の差なのか、それとも実力なのか、レグシアの方は未だ体力的にも余裕があるようだ。
「こんのっ!」
 余裕のあるレグシアにイラついたのか、敗北が見え始めたことに焦り出したのか、セシリアは吠えながら横から長い足を蹴り出した。予想していたのか、レグシアはそれを難なくよける。
「おい、これは剣の手合わせじゃなかったのか?」
「はんっ!いつものことだろう!!」
 剣と蹴りの波状攻撃を避けながらレグシアは非難の声を上げるが、セシリアは全く気にしていないようで、彼女の猛攻は続く。確かに彼女の言う通り、喧嘩まがいの手合わせは何度もやっているが、如何せん、妹は本当に足癖が悪い。
 レグシアは舞うように避けながら、隙を見つけては斬りかかる。セシリアのように足は出さなかった。
「あの、演武ってこういうのもするんですか?」
 そんな二人の様子を見ていたラティアリスがぽつりと呟いた。
「そういう型のものもなくはないのですが、これは違います。もうそのうちただの喧嘩になりますよ」
 キイスは呆れながら言う。ラティアリスはよくわからなかったが、これはもう演武の類ではないのだろう。それでもラティアリスは惹きつけられた。なぜなら、二人とも楽しそうだからだ。剣筋には遠慮も何もない。レグシアは重い剣撃を繰り出すし、セシリアは素早い猛攻を叩き出す。それは互いに信頼し合っているように見えた。
「(なんだか、羨ましい)」
 どうしてそう思うのか分からない。ただ、本当に羨ましかった。
 ただただ見惚れていると、鼻を突く酒の匂いとともに、背中から何か重みを感じた。
「お嬢ちゃん、こういうのを見てるのもいいけど、俺と一緒に酒飲まないかい?」
「え?」
 振り向くと、赤い顔をしたヴァレスの兵士が覆いかぶさっていた。ラティアリスは驚いて不快も何もなく、ただ硬直してしまう。酒の匂いが、さらに強くなる。
 ひゅん、がしゃんっ!!
「ひぃ!!」
 すると突然、ラティアリスの横を何かが通り過ぎたかと思うと、大きな音が響き渡り、兵士が腰を抜かして後ろに倒れこんだ。ラティアリスも引っ張られかけたが、ラーラが掴んでくれたおかげで助かった。
 大きな音に、あたりは静まり返る。倒れこんだ兵士の両側には、一本ずつ刃引きした剣が転がっていた。
「何をしている…」
 低い声音とともに、こちらへゆっくり歩み寄ってきたのは殺気立ったレグシアだった。握られていたはずの剣が彼の手にはない。ラティアリスは何のことかよくわからなかったが、的になった兵士はすくみ上がる。
「まったく、油断も隙もないな」
 レグシアに続くように歩み寄ったセシリアも、声音は静かだがどこか怒りを含んでいるようにも思える。彼女も剣を持っていなかった。
 二人の様子に戸惑い、助けを求めるようにラーラを見るとその手に何かが握られていた。思わずぎょっとなる。
「ラーラ! どうしてナイフなんて出してるの!!」
「あの者は姫様に無礼を働きました。罰を受けるべきです」
「何言って…」
 あまりにも目が本気なので、ラティアリスはたじろいだ。どうしてそこまで怒るのだろう。彼はただ自分に寄りかかってきただけではないか。しかしラティアリスの思いをよそに、それに同調したのはレグシアだった。
「かまわん、ラーラ、やれ」
「あ、アサギ様っ!!」
 彼まで何を言っているのだろうか。おたおたしていると、ラーラは兵士に一歩ずつ近づいていく。兵士は完全に腰を抜かしているのかその場から動けないようだ。
「まーまーまー、ここは俺に任せてくださいよ、ね?」
 助け船を出したのは、キイスだった。しかし彼も彼で腰の剣に手がかかってはいないだろうか。
「その者を見逃せというのか?」
「違いますよ、セシリア様。あなた方がやったら洒落にならないから、俺が引き受けますって言ってるんです」
 ね? とキイスはかわいく首を傾げる。ラティアリスには、洒落にならないとはどの程度洒落にならないか見当がつかない。だが、レグシアやセシリア、ラーラといった腕の立つ者を三人も相手にしては、確かに洒落にならないような気がする。
「じゃあ、俺はこれで失礼しますね〜。あ、気にせずみんな酒飲んで騒いでよ〜」
 キイスは彼らの返答を得ないまま、 静まり返った周りに愛想を振り撒きつつ兵士を引きずってその場から退散していく。
 それを見たラーラは軽く舌打ちした。
「余計なことを…」
「まあ、いい。あの男の始末はあいつに任せよう。姫も、もうお部屋にお戻りください」
 さらっとものすごい台詞を吐かれた気がするが、レグシアに話を振られてラティアリスは目を丸くした。レグシアの目はやけに真剣だ。
「やはりこんなところ、姫が来るべきではなかったのですよ。半分無礼講化しているこのような場所に…」
「え…でも…」
「それ関しては、私のツメが甘かったわけだな。すまない、姫」
 セシリアに謝られ、ラティアリスは戸惑うしかない。そんなに気遣われることだったのだろうか。それに、もう少しここにいたい気もした。
 渋っていると、レグシアがラティアリスの手をつかんだ。大きく、温もりをもったそれに驚いてラティアリスは内心飛び上がる。
「とにかく、お部屋に戻りましょう」
「アサギ殿、剣を忘れているぞ」
 キイスの手からいつの間にセシリアの手に渡っていた剣が、彼女からレグシアに投げ渡される。それを難なく受け取り、レグシアはざわめきを取り戻しつつある人込みを歩き出した。その後ろからセシリアの声がかかる。
「仕方ないので引き分け、ということにしておこう」
「ぬかせ、そういうことは一勝でもできてから言うんだな」
 レグシアは振り向いて吠える。明らか機嫌の悪い兄に、セシリアは肩をすくめて答えた。
 ラティアリスはレグシアに引っ張られる様にその場から退散することになった。振り返ればラーラが何故か楽しそうなセシリアに羽交い絞めにされている。ラーラは振り払おうともがくが、どうもうまくいかないらしい。ラーラ、そう呼ぼうとした時、ラティアリスは広間から出てしまっていた。
「あの、ラーラが…」
 彼女はきっと自分についてこようとしたに違いない。それが何故かセシリアに妨害されてしまったらしい。ラーラを呼び戻しに行こうと、アサギを見上げるが、彼は有無を言わさぬ眼でラティアリスを見下ろすと、またそのまま歩きだした。



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