第三章

(8)


「とにかく、安静が必要なのです。揺れの激しい荷馬車でなど…」
「そうは言われてもなあ…」
「どうか、したのですか?」
 落ち着いたラティアリスがラーラとともに戻ってくると、キイスと軍医が何やら言い争いをしていた。死人は並べられ、布がかけられてある。敵とは言え、死者の弔いを忘れないのはサイアルズの仕来りだ。
「あ、姫様…」
 声をかけると、キイスはバツの悪そうな顔をした。どうしてそんな顔をされるのか分からなかったが、話を促すと、キイスは丁寧に答えてくれた。
「一人、重傷者が出たんですよ。あ、でも、命に別状はないんですが、その者の収容場所に問題があって…」
「…姫様、私はこの隊で医師を務めている者です。患者の容態を考えると、荷馬車に放りこむのは賛成できないのですよ」
 軍医は中年の男性だった。貫禄がある彼は、困ったように言う。
 使われている荷馬車はそれほど振動に気を配った設計にできていない。人を運ぶために作られたものでもないし、振動に気をつける物も積まれていなかった。
 患者を運ぶには賛成できない代物なのだろう。
「でもなあ、他にいいやつないんだし…」 
 キイスはここからさっさと立ち去りたそうだった。無理もない。また奇襲に合う可能性だってあるのだ。軍医も軍医で、医師として引くことはできなさそうである。
 そんなふたりを眺めていて、ふとラティアリスはあることを思い出した。
「私が乗せていただいている馬車ではだめなのですか?」
「はい?」
「だって、あの馬車には簡易ですがベッドがあったでしょう? それに、振動だって少ないです」
 王女のために用意された馬車は、それなりに快適だった。疲れたら横になれるソファ兼ベッドがあるし、振動だってできるだけ吸収される作りになっている。
 名案だと目を輝かせるラティアリスに、キイスは困ったように頭をかいた。
「ですが、あれは姫様のために用意したものです。それに、怪我人とはいえ下級の者をのせるなど…」
「ケガ人に身分はありません。それに、その方は私を守ってくださったのです。私はなんでしたら床に腰を降ろしますから…」
 ずいっと迫るラティアリスに、キイスはますます困った顔になった。確かに、彼女の意見には賛成だ。キイスも気位にうるさい貴族たちのおかげで身分云々には辟易している。自分が仕えるのは王族に連なる将軍だが、それは血筋関係なしに彼自身を尊敬しているからだ。
 だが、そう簡単には頷けない。残念ながら、この隊を取り仕切るのは自分ではないし、王女の馬車に血を持ち込むのも気が引ける。
「何を騒いでいるんだ」
 キイスの救世主は、身分を偽ってこの隊に入り込んだ自国の王だ。まさに天の助けである。
「それがですね…」
 訴えのような説明を聞いたレグシアは、ふむ、と納得したように頷いた。
「姫はそれでいいのですね?」
「はい。構いません」
「わかりました。イグレシオ閣下に話してきましょう」
 かくして重傷者は、王女の馬車へと運びこまれることになった。


***


 馬車に乗り込んだのは、患者と医師だけはなかった。アサギことレグシアも、乗り込んで来たのだ。
 ラティアリスは驚いたが、どうやら彼の馬を、死んでしまった馬車の馬の代わりに使ったらしい。セシリアは何故か楽しそうだし、ラーラは無表情だがどこか不機嫌そうだ。
 それがどうしてか分からなかったが、ベッドの上で横たわる兵士のほうが気になった。彼は全身を斬りつけられていたし、肩を矢で射られもしたようだ。軍医が調合した麻酔薬で今は眠っているが、痛々しくて仕方がなかった。
「弱々しい姫君かと思いきや、結構肝っ玉が据わっているな」
「どこがだ。腰を抜かしていたんだぞ」
 セシリアは馬車の入口近くの隅に剣を抱えて腰を下ろす兄に、楽しそうに声をかけた。
 王女はケガ人に気を取られているのと車輪の音で、小声でされる兄妹たちの会話は耳に届いていないようだ。
「まあ、無理はないがな」
 彼女の方を見れば、軍医とあれこれ話している。何を話しているのか耳を傾ければ、どうやら患者の容態のようだ。ラティアリスの横顔には兵士を気遣う色が見える。
 セシリアの言葉を否定したものの、確かに割と肝が据わっている。腰を抜かしたのは殺されかけたから当然だが、死体や血を見ても多少ふらつき、気分を害するぐらいに留まっているし、泣き言も言わない。普通なら、気を失ったり、我を失ったりしてもおかしくないというのに。少し、顔色はわるいようだが…。
 彼女が兵士にベッドを提供したのにも驚いたものだ。自分は隅に追いやられ、床に座ることになっても文句ひとつ言わず、その上怪我人の心配ばかりしている。だが、同時に彼女なら納得がいった。そういう女性であると、どことなく理解できる。出会ってからあまり経っていないが、彼女の人となりが何となくわかってきた。
 そして、彼女を知れば知るほど、戸惑う自分がいることも―――。
「このままずっと、馬車に乗っているつもりか?」
「いや、ヴァレスに入れば降りるさ。いつまでも女性の馬車に乗っているわけにもいかないだろう」
 今こうやって馬車に乗っているのは、また襲撃される可能性もあるからだ。自分は無傷だし、闘う余力は充分残っている。王女の護衛に専念することにイグレシオはいい顔はしなかったが、敢えて無視した。自分の力量を過信してはいるわけではなく、ヴァレスに入るまでは王女の傍を離れることが不安だった。
 ヴァレスに入るとすぐに、要塞が一つある。そこで食糧補給や、怪我人用の車も仕入れるつもりだ。そうなると王女の厚意でベッドに眠る兵士もそこに移ることになる。となるとまたこの馬車は女性専用となるわけだ。いくら心配とはいえ乗り続けるのには気が引ける。
 セシリアはそんな兄の気持ちを分かっているくせに、いやらしい顔つきになった。
「ずっと乗っていればいいのに。そうしたら、姫と仲良くなれるぞ?」
「口を閉じろ。いい加減怒るぞ」
 眉間に皺を寄せ、強い口調で言ったが、セシリアはにやりと笑う。懲りていないようだが、それ以上は何も言わなかった。調子に乗りすぎて、王女の耳に入ることを避けたのだろう。
 何も言って来ないことに安堵して、レグシアは背中を壁に預けた。王女をちらりとみれば、まだ軍医と話している。
 彼女はいったい何者なのか。
 はっきりしたことはわからなくても、レグシアにはあることだけは見当がつく。
 彼女は―――アルマリア王女ではない。
 嘘をつかれていることに、腹立たしいとは感じなかった。彼女が自ら進んでついた嘘だとは思えない。それはあまりにその嘘が大きすぎるからだ。
 オルアンナ自体が仕組んだとしか思えない。
 彼女とオーリオの会話を盗み聞きしたあの日、オーリオは『理不尽なのはあちらなのだ』と言った。レグシアの考えを裏付けるような言葉だ。
 さて、これからどうするべきか。
 先ほどの奇襲も、王女の真偽も、事を荒立てたくないとして保留にした。しかし、保留にし続けてはだめだ。
 襲撃に関しては、滅多なことを大声で言うことはできない。これは慎重に調査するべき事柄だ。 
 王女と名乗る彼女は本国に連れて帰り、形だけでも王の妃にする必要があるだろう。完全にこちらに引き込めば、オルアンナは立場上サイアルズに手出しはできなくなる。条約を破ることは、体裁が悪いからだ。
 もし、うまくいけば王女の真偽はどうでも良くなるのではないかと思う。
 サイアルズにとって必要なのはオルアンナの王女であって、オルアンナの血ではない。
 真偽を確かめ、偽だと確定してしまえば彼女の立場はサイアルズでも危うくなるだろう。そうなれば彼女はどうなる。国のためにと敵国へ嫁いだのに、偽物だとして糾弾される。それを彼女に課してしまうのか。
 だがこれ以上の問題がおきることなく事が進めば、彼女の立場は、彼女の身は守られる。
 淡色の薔薇のような女性。
 心配そうな横顔から、浮かんでくる様々な表情。
 辛そうな顔、悲しそうな顔、嬉しそうな顔、楽しそうな顔、微笑んだ顔…。
 女性というよりまだ少女だ。
 レグシアは自分の内側から、否定したくても、否定できない感情が渦巻いているのを感じた。


***


 急ぎ足で進んだおかげか、ヴァレスの要塞まで問題なく辿り着くことができた。ひとまず、安心だ。
 まずは重傷の兵士を設備の整った要塞で見てもらうことになった。もし、ひどいようであればこのままヴァレスで面倒を見てもらうことになるだろう。
 ヴァレスの要塞に招かれた一行は明日の出発まで、気を許した一時の休みを得ることができた。ずっと緊張し通しで、皆疲れていたのだ。
 レグシアは一時の休憩を、要塞の外で過ごしていた。
 天気は良かったし、考える事柄もたくさんあったから、誰もいないところの方が落ちつけたのだ。またイグレシオには黙って出てきたので怒られるかもしれないが…。
 木の下に腰をおろしていたレグシアのもとに、いつもなら気配を消している女性が背後から近づいた。
「離れるな、と命じておいたはずだが?」
「セシリア様に、お頼みしました。用が済めばすぐに戻ります」
 背後を振り返ることなく言うと、ラーラは冷静に答える。
 彼女が任務を一時にしろ放棄するのは珍しいと思った。ラーラの一族は命じられたことを、完遂するように教育されている。しかし、彼女のいうように王女のもとにセシリアがついているなら別にかまわない。それに、いつも無表情で命じられたことを淡々とこなしていたから、逆に心配でもあったのだ。少しくらい、自分の意思で動いたって罰は当たらないはずだ。
「用とは?」
「私は、姫様をお守りすることを、自分の使命と感じました」
 ラーラの思いもよらない告白に、レグシアは驚いて振り向いた。そこには相変わらず無表情の少女が立っている。
「それはつまり、彼女を主とする、ということか?」
 レグシアの問いに、ラーラはゆっくりと、しかししっかりと頷いた。表情には変化は見られないが、その瞳には強い意志が宿っている。彼女の決意に揺らぎがない証拠だ。
「それをご報告に上がりました」
「いや、まあ別にかまわないが…」
 あまりに驚きすぎて、レグシアは呆けてしまっていた。
 ラーラは一応自分に仕えていた。それは彼女の兄が、自分に仕えているからだ。彼女の兄は性格に難があるものの、情報収集や武器の扱い、判断能力にも長け、非常に有能な人物だ。それは彼らがそういう一族であるためだ。彼らはただ一人の主を見つけ、一生仕え続けることを信条としていた。兄の方は自分に仕えることを決めたが、彼女にはまだ明確な主がいなかった。しかしラーラは有能であったために、一時的にレグシアに雇われていたのだ。彼女が誰か主とする人を見つけるその時まで、という制約をつけて。
 だから、自分は彼女の主でなくなったということだ。それは別にかまわないのだが、まさかこんな時にそうなるとは思わなかった。
「では、私はこれで」
「待て」
 用は済んだとばかりに立ち去ろうとするラーラを慌てて引きとめた。彼女は振り返るが、若干うざったそうにしているのは気のせいだろうか。主でなくなったからの態度か、それとも別の意味合いがあるのか。
 なんとなく後者が理由でないだろうかと思ったが、あえてそれは追及せず、咎めず、話を続けた。
「お前が王女の主になることに反対はない。お前たち一族は、主とする者に決まった血筋や身分の制約はないからな。だが、彼女を守るというなら、ある程度私の意見も聞いてくれ。彼女を不安にさせずに、色々と動く必要があるからな」
 それはこれからの王女の身の上が関係している。オルアンナとヴァレスの国境付近では振り切ったが、サイアルズでも命を狙われる可能性もある。だからといって王女に不安を煽る必要もないし、彼女がおびえる様子も見たくはない。互いが互いに、協力する必要があるということだ。
「わかっています。私の一番は姫様。姫様のためなら、構いません」
「そうか、ならいい」
 きっぱりと言ったラーラに、一切の迷いはない。それを感じ、レグシアは微笑んだ。ラーラの腕は信用している。王女につきっきりになるというなら、なおさら安心だ。
 話は終わったのですぐに立ち去るかと思ったが、ラーラはそこに立ち続けていた。レグシアは思わず首をかしげる。
「どうした?」
「申し訳、ありませんでした」
「は?」
「馬車でのことです」
「ああ、なんだそのことか…。わかっている、あれは姫に血を見せたくなかったんだろう?」
 奇襲があったとき、ラーラは馬車に敵の侵入を許し、結果王女は危機に陥った。だがそれはラーラの油断などではなく、ただ彼女の目の前で血を流すことなく倒そうと力を加減したためだ。レグシアはそんな彼女を叱責したが、同時にラーラの心根も分かっていた。
 無表情で感情の起伏が乏しいためあまり内面は読めないが、彼女の心遣いなどは充分承知しているつもりだ。シスコン気味の彼女の兄が、ただラーラは不器用なだけだと言っていたのを思い出す。
「どうして彼女を主とした?」
 なんとなく気になって聞いてみた。答えてくれなくてもよかったが、出来れば答えてほしかった。ラーラは少し迷ったようだが、すぐに口を開いた。
「姫様は、笑ってくださいました」
 静かに、けれどもしっかりした口調でラーラはいう。
「殺されたかもしれないのに、失態を犯した私に『守ってくれてありがとう』と微笑んでくださいました。そして、『友達になりたい』ともおっしゃってくださいました。私には友とは何かわかりません。けれども、あの方は私と友になり、私をもっと知りたいと…。ただ、微笑んでくれました…」
「…そうか」
 王女はそんなことを言ったのか。なんとも王女らしい。
 ラーラはただ嬉しかったのだ。それが何となく理解できて、レグシアは微笑んだ。
「けれども、彼女はアルマリア王女でないかもしれないぞ? お前に、嘘をついているかもしれない」
 悪戯っぽく問いかけると、ラーラはまっすぐレグシアを見た。相変わらずその瞳に揺らぎはない。
「かまいません。私は、オルアンナ王国のアルマリア第一王女を主としたわけではありません。彼女が彼女だからこそ、私はあの方を主に選んだのです」
「そうか、下がっていい」
 そういうと、ラーラは一礼してその場を去っていった。彼女が離れたのを見届けて、幹に背中を預ける。
 何よりも、強い言葉だった。
 誰であろうと、ラーラはあの王女に仕え続けるだろう。例えその正体が身分の低い平民であっても、ラーラはずっと彼女を守り続ける。それがラーラの信念だ。ゆるぎない決意だ。
 彼女の意思に、レグシアは息が詰まるのを感じた。ラーラと違って自分はどうだろう。
 王女と名乗る彼女を守りたいと思いながら、ぐずぐず悩んでいる自分がいる。ラーラと自分とでは立場が違うが、それはただの言い訳のように感じた。
 意地を張るなと、セシリアが言っていた。
 そうだ、自分は意地を張っているだけなのだ。
 とっくの昔に自覚しているその気持ちに対して意地を張り続けた自分に、レグシアは苦笑いした。



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