第三章

(6)


 馬車の中で談笑を楽しんでいた三人の中で、まず初めに異変に気付いたのはラーラだった。いつも無表情の彼女が、眉間にしわを寄せて立ち上がる。
「ラーラさん?」
 ラーラの突然の行動に、ラティアリスは首を傾げるが、セシリアも同調するように立ちあがった。彼女の表情も険しい。緊張を感じ取り、ラティアリスの身体が強張った。
 その時、外からイグレシオらしき大声が聴こえ、セシリアは素早く動いた。
「伏せろっ!!」
「きゃあ!!」
 セシリアに押し倒され、馬車の中で転がる。パリン、とガラスが割れる音が聞こえたかと思うと、矢がラティアリスの座っていた場所に突き刺さっていた。小さな窓に矢が射られたのだ。
 それを見た途端、冷や水が背筋を這った。
「ラーラ、姫を頼む!」
 セシリアは硬直するラティアリスをラーラに預けると、細みの剣を抜き放ち、馬車から出ていく。
「大丈夫です。落ち着いてください」
 ラーラはラティアリスを守るように抱きしめ、相変わらず、感情の乏しい声でいう。だがそれが幾分かラティアリスを落ち着けてくれた。
 だが、その瞬間馬の嘶く声が聞こえ、馬車が横倒しになる。
「きゃあっ!」
「ちっ」
 どん、という音ともにひっくり返される衝撃を感じ、ラティアリスは悲鳴を上げるが、あまり痛みは感じなかった。ラーラが自分をかばってくれたのだ。
「ラーラさんっ」
「大事ありません。受け身をとりましたので」
 彼女はあくまで冷静だ。だが、受け身をとったからと言っていくらか打撲したはずである。心配になって彼女の上から起き上がると、外の喧騒が聞こえてくるのがわかった。
 剣がぶつかり合う音、悲鳴、鈍い音…。
 ラティアリスは初めて聞くその様々な音に、身を震わせた。外では命の奪い合いがされている。震えるラティアリスを、ラーラが優しく包み込んだ。
「ご安心ください。あなたは私がお守りいたします」
 ラーラの表情に変化はみられない。けれどもそれがまた逆にラティアリスに落ち着きを取り戻させ、ラティアリスの震えが収まりだす。
 だが、それを遮るかのように、馬車に何者かが侵入してきた。真っ黒な鎧を着た兵士だ。兜を深くかぶり、顔は見えない。体格からして男だろうが、その鎧はサイアルズのものではなかった。
 ラーラはすぐさまラティアリスを背後にかばい、どこからとり出したのか、その手にナイフを構えていた。
「何者です」
「……」
 兵士はラーラの問いに応えることなく、剣を振りかざしてきた。ラティアリスは声も出ずに、反射的にかたく目を閉じる。
 カン、という軽い音がして目を開くと、しゃがんだままラーラがナイフで剣を受け止めていた。ラーラは無駄のない動きで、そのままナイフを剣の下で滑らせ、兵士の懐に入り込み足を払う。
「うわっ」
 ラーラはナイフ持っていない反対の手で、体制を崩した兵士の胸を強く突いた。兵士は入り口まで押し戻され、その場に転ぶ。しかしラーラは間髪入れずに二、三歩素早く詰め寄ると、兵士のあごをけり上げた。使用人の長いスカートの裾がひらりと舞いあがる。
 そしてそのまま兵士の足を持ち上げると、馬車から押し出した。入口から地面まではいくらか距離があったのだろう、ぐえ、という鈍い悲鳴が聞こえる。
「ら、ラーラさん?」
 兵士を一人撃退したラーラは静かにその場に立っていた。あまりに無駄のないその動きに、ラティアリスは茫然となる。訓練されたその身のこなしに、扱いなれたナイフ。明らかにただの使用人ではない。
 しかし、ラーラはラティアリスの声にこたえることなくすぐに身構えた。入口から剣が突き出されたのだ。ラーラは難なくそれをよけ、持っていたナイフを突き出す。だがナイフはかわされ、入れ替わるように敵の侵入を許してしまった。
 新たな兵士もまた黒尽くめだ。馬車への侵入に成功した兵士は、ラーラに目をくれることなく、一番奥で固まっているラティアリスに歩み寄る。敵の接近に、身体がびくりと痙攣した。
「――――っ!」
「ちぃ」
 ラーラは舌打ちして、ラティアリスに近づく兵士に斬りかかろうとした。だが、ラーラの背後からまた新たな兵士に剣を突き出され、それをよけるのに気を取られてしまう。
 硬直するラティアリスの前で、兵士はにやりと笑った。そして剣が振り上げられる。
「姫様っ!?」
「――――――っ!?」
 ラティアリスは剣が自分を斬りつけられるところを想像し、歯を食いしばって目を閉じた。
 ガツンっ
「ぐあ…」
 だが、それはやってこなかった。代わりに、兵士の鈍い声と、ガシャンという何かが落ちる音がした。恐る恐る目をあけると、そこには見知った青年が立っていた。
「ラーラ!何をしているっ!!」
 罵声とともに現れたアサギ―――レグシアは、ラーラが奮闘している相手の顔の側面を殴りつけた。兜をよけたその拳は、見事に決まる。
「申し訳ありません」
 レグシアの叱責に、ラーラは表情を崩し、沈痛な面持ちになった。自分のふがいなさを責めているのだろう。
 しかしレグシアはそれ以上責めず、舌打ちすると、呆然とするラティアリスに駆け寄った。
「姫、大丈夫ですか?」
「………は、はい」
 レグシアはおちていた鞘に入った剣を拾い、ラティアリスに視線を合わせるようにしゃがみこんだ。心配そうに覗き込んでくる。
「大丈…夫、です」
 茫然としつつも何とか返事を返す。
 ラティアリスの危機を救ったのはレグシアらしい。彼女に襲いかかろうとした、倒れている兵士は泡を吹いている。どうやらレグシアが鞘に入ったまま剣をまっすぐ投げつけ、それが兵士の兜と鎧の間をぬって首に直撃したようだ。
 ラティアリスに怪我がないことに安堵したのか、レグシアはほっと息をついた。すぐに倒れている兵士の首根っこをつかみ、引きずるように馬車から落とす。殴られて倒れている兵士も同様だ。
 耳を澄ませば、まだ外の喧騒はやんでいない。
「何者ですか?」
「わからん。統率はとれているようだが、こんな鎧の国など、見たことがない」
 ラーラの問いに、レグシアは渋い顔をした。しかしすぐに表情を改めた。馬車の入口から剣先が突き出されたのだ。よけた拍子にまた兵士が乗り込もうとするが、レグシアは間髪入れずに蹴り落とす。
「とにかく、お前は姫を守れ。それだけに集中しろ」
「はい」
「まったく、さっさと退いてくれればいいが」
 レグシアは舌打ちして馬車から飛び降り、次の瞬間何者かの悲鳴が上がった。どうやら何者かを斬りつけたらしい。そしてその場から動かず、馬車を守るように入り口に立ちふさがった。
 ラーラはそれを見届け、ラティアリスに駆け寄る。
「申し訳ございません。怖い思いをさせてしまって…」
 ラーラは辛そうに顔を歪めた。こんな表情もできてしまうんだと、ラティアリスは場違いなことを思ってしまう。そんなラーラに、ラティアリスは首を振った。
「大丈夫です。ラーラさんが守ってくださったから…」
 ラティアリスの顔色は悪かったが、それでも精いっぱい微笑んだ。本当に感謝しているのだ。ラーラがいなければ、ラティアリスはとっくに殺されていた。
 ラティアリスの笑顔に、ラーラは目を丸くし、そうしたかと思うとすぐに表情を改めた。
「あなたは私が、何としてでもお守りします」
 何か決意のような、何か強いものが、その瞳にはしっかりと宿っていた。思わずその瞳に魅入ってしまうが、暫くして外の喧騒がやんだ。
「姫っ大丈夫か!?」
 慌てた様子で中に入って来たのはセシリアだった。息が荒く、持っている剣には血がこびりついている。彼女も戦ったのだ。それを見て身体を強張らすと、持っていたものに気づいたのか慌ててそれを背後に回し、ラティアリスの視界から隠した。
「大丈夫です。ありがとうございます、セシリア様…」
 気遣いをありがたく思い、出来るだけ笑顔を浮かべた。けががないことを確かめ、彼女もほっと息をつく。
「セシリア様は、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。この程度の奇襲、何度も経験しているからな」
 セシリアはラティアリスを安心させるように、いつもの笑顔を浮かべた。そんな様子のセシリアに、ラティアリスも息をつく。
「立てるか? 馬車を起こさねばならない」
 セシリアやラーラの手を借りて、何とか立ち上がり、馬車から出ようとした。すると、鼻をついたのは血の匂い、眼前には死体とけがをした者たちが大勢いた。
 目まいを起こしかけると、すぐにラーラが支えてくれた。血の気が引いていく。
「少し、我慢してください。大丈夫、もう危険は去りました」
 ラーラが優しく声をかけてくれる。それに励まされながら、なんとか足を進めた。
「失礼」
 手を差し伸べてくれたのはアサギことレグシアだった。ふらついていることに気づいたのか、レグシアは沈痛な面持ちで、断りを入れると、そのままラティアリスを抱える。おかげで難なく地面に足を下ろすことができた。馬車から出てきたラーラが、すぐにラティアリスに寄り添う。それがなければ、ラティアリスはへたり込んでいたかもしれない。眼前に広がる赤い世界から、目をそらせずにいた。
「ご安心を…というのはおかしいでしょうが、こちら側に死者はいません。オルアンナの使者もみな無事です」
 イグレシオの優しい声音の報告に、ラティアリスもほっとした。確かに倒れている者たちはみな、黒い甲冑を身につけていた。
 だが息をついたとき、何か視界の端にきらりと光るものが映った。つられる様にそちらに目線を向けると、木の葉が生い茂るその中から何かがラティアリスに向かって飛んでくのが見える。やけにゆっくり感じたが、それが何か悟った途端、動けなくなった。
 刺さる―――そう思った瞬間、目の前を何かが遮ったかと思うと、飛んできたそれはラティアリスに届かず地に落ちた。
「ラーラ!」
 レグシアの声が上がったと同時に、ラーラが何か針のようなものを飛んできた方へ投げた。鈍い声が聞こえ、何かかが落ちる音がした。
「姫っ!」
 足元に落ちていたのは一本の砕かれた矢だ。ラティアイリスはそのままそこにへたり込んだ。身体中の毛穴という毛穴から汗が吹き出し、チクチクと針で刺されたかのような感覚が支配する。状況についていけなくて、涙すら出なかった。
 腰を抜かして呆然とするラティアリスを、レグシアは素早く抱えあげ、馬車の陰に隠れた。イグレシオやセシリア、ラーラやほかの兵士たちも、緊張を走らせる。
「……気配は、もうないようです」
 イグレシオのため息まじりのその声に、レグシアはほっと息をついた。確かに、もうない。
「大丈夫だ、もう、本当に大丈夫だ」
 胸の中で硬直するラティアリスの背中を、あやすようにたたく。止めていた息がゆっくりと吐き出され、少しずつ落ち着いてくるのがしっかりと感じられた。それを見届け、レグシアは彼女を抱いたまま立ち上がる。
「念のため、周りを確認しましたが、異常はないとのことです」
「そうか…怪我人の治療に専念させ、軽傷の者には隊を立て直させろ。一刻も早くヴァレスに入らねばならん」
 レグシアの言葉に、イグレシオ達は頷いた。ラティアリスにはまだ周りの言葉が耳に入ってきていなかった。
 するとラティアリスを抱いたままのレグシアの前に、ずいっとラーラが歩み寄った。
「姫様を、こちらへ」
「なんだその目は…」
 普段表情を崩さないことで有名な侍女は、いつも通り無表情だったのだが、その眼はどこか恨みがましそうにレグシアを見ていた。
「姫様を、こちらへ」
 少し口調を強めていうラーラに押され、レグシアは思わず一歩下がってしまう。どうやら彼女はラティアリスを渡してもらいたいらしいが、レグシアは何となく嫌だった。
「別に、このままでも…」
「アサギ殿、このままではまともに話すことができん。ここはラーラに譲れ」
 セシリアの言葉に、レグシアは苦虫をかみつぶしたような顔になる。まだ自我をしっかり取り戻していないラティアリスを少しだけ強く抱きよせ、渋々ラーラに預けた。ラーラはその細腕からは信じられない力で、レグシアと同じように軽々とラティアリスを横抱きにした。
 愛おしそうに彼女を抱きよせると、ラーラは一礼し、その場から去る。
 残された者たちは、その様子を呆然と見送った。
「おい、あいつにはそういう気があるのか?」
「少しは感情が出てきたようだし、いいことではないのか?」
 そうだろうか。レグシアはセシリアのように納得が出来なかった。何となくライバルが増えた気がしてならないのは、気のせいだろうか。
 王女のぬくもりが、まだ腕に残っていた。

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