第三章

(7)


 ラーラに抱えられたラティアリスは、死体の転がっていない木の根元に下ろされた。軽傷の兵士が、駆け寄って水の入ったコップを差し出す。
「王女様、どうぞお飲みください」
「あ、ありがとうございます…」
 微笑んで受け取ると兵士は少し赤くなって、とんでもありませんと笑った。サイアルズの兵士たちに死者はいないという言葉を思い出し、本当によかったとつくづく思う。
 水はすんなりと通り、緊張で渇いていた喉をうるおしてくれた。
 周りを見渡せば、死者やけが人たちが目に入ってきた。この黒い甲冑を着た者たちは何者だろうか。オルアンナの者だろうか、それとも別の何者か…。
 もし、この襲撃にオルアンナが関係していたら。ラティアリスは考えてぞっとした。それは兄王が自分を見捨てたということだ。愛されていたとは一度も思ったことはないが、それはそれで辛いものがある。
 それにそうであるならば、これは自分の価値のなさを証明していた。だからサイアルズの兵士たちは襲撃されたのだ。ここにいるのが本物のアルマリアであれば、サクスアイールが許すわけがない。自分が彼らを危険な目にあわせたのだ。
 考えれば考えるほど、気分は落ち込んだ。
「本当に、申し訳ありませんでした」
「え?」
 見ればラーラが、深刻な顔をしている。先程のことを言っているのだろうか。だが、それは正直に言ったはずだ。ラーラがいなければ自分は助からなかった。
「私がついていながら、姫様を危険な目に…」
「ラーラさん、私は本当にラーラさんに感謝しています。だって、ずっと守ってくださっていたでしょう?」
 ラーラにあんな特技があったことは驚きだが、彼女はずっとラティアリスを影ながらに見守っていてくれた。ラティアリスがひとりになりたいと言った時も、少し離れてずっとそばにも居てくれた。さっきだって転がる自分を助けてくれたし、敵からも身を挺して守ってくれた。よろめく自分を支えてくれもした。
 それに、なんだかさっきは抱きあげられていた気もする。
 とにかく、本物のアルマリア王女でない自分を、彼女は守ってくれていた。申し訳ない気持ちになるが、それを言うこともできない。
「だから、そんなに気を落とさないでください。むしろ私はラーラさんにお世話になりっぱなしで…」
 自分の身を守る手段など教わってこなかったのもあるが、ラティアリスは守られてばかりいるし、嘘をつくことへの後ろめたさから思わず苦笑いがこぼれた。
 ラーラはそんなラティアリスを見つめ、何かを決意したかのように膝の上で拳を作った。
「ありがとうございます、姫様。私はあなたを一生お守りいたします」
「え?」
 壮大なせりふにラティアリスは目を丸くするが、ラーラは真剣そのものだ。
「それと姫様、わたしのことは呼び捨てでは構いません。あと、敬語も不要です」
「あ、はい…わかりました」
 ラーラの気迫に押されて、思わず頷いてしまう。ふと、国にいる自分の侍女のことを思い出す。
「あの、ラーラさ…ラーラ」
「はい」
「あのね、私はラーラとお友達になれたらと思うの」
 はにかんで言うと、ラーラは無表情ながら困っているようにも見える。ラティアリスはそれが何だか面白く思えたが、話を続けた。
「ラーラはこれからずっと、私の侍女でいてくれるんでしょう?」
「そうです」
 ラーラはやけにしっかりと頷いた。まるでラティアリスの侍女以外なるつもりはないかのように。
「だったら、せっかくなんですもの、お友達になりましょう。国にいる私の侍女はね、私を主人としてみてくれていたけど、友達としても接してくれていたのよ」
 ゲーテはラティアリスを大切にしてくれた。それはよき侍女としてよき友として。相談に乗ってくれたこともあるし、相談に乗ったこともある。ゲーテとの関係は、ラティアリスを安心させてくれた。
「無理です」
「…そう」
「私は、友達というのがよくわかりませんので」
「え?」
 きっぱり断られ、ラティアリスはショックを受けるが、次の言葉を聞いて目を丸くした。
「私には友と呼べる者がおりません。ですので、友というのがよくわからないのです」
「そう、なの…」
 なぜ友達がいないのか、それはあえて問うことはないと思った。ラーラにも色々あるのだろう。
「じゃあ、私が初めての友達ね」
 にっこり微笑むと、ラーラは驚いたように目を瞠った。
「友達ってなにをするとかないと思うの。ただ、一緒にお話ししたり、お食事したり、相談し合ったり…。傍にいるだけで楽しいって思える存在が、きっと友達だと思うの。私は、ラーラが傍にいるだけで安心できるし、ラーラをもっと知りたいと思うわ」
 正直に言うと、ラーラは何か考えこむ素振りを見せた。変なことを言ってしまっただろうかと心配になるが、すぐに彼女はラティアリスに向き直る。
「ますます、あなたを守りたいと思いました」
 どうしてそうなるのか分からなかったが、あまりに凛々しい瞳で言うので、思わず顔が赤くなってしまった。


***


「なんか、俺にとってまずいことが起きている気がする」
 突然の王の言動に、家臣たちは怪訝そうな顔をした。
「今まさに、やばい状況だと思うのだが?」
 周りを見渡せば死体が転がり、味方側にはけが人だっている。セシリアに賛同するように、イグレシオやキイスも頷いた。だが、レグシアは首を振る。
「第二のセシリアが現れたような…」
「私は一人しかいないが?」
 真剣な兄の物言いに、セシリアは眉間にしわを寄せる。だが、レグシアはブツブツと何か言いはじめていた。すぐに放っておくのが一番だと結論付け、セシリアは話を続けた。
「で、被害の状況だが」
「はい。無傷は10人ほど。軽傷者多数。問題なく動ける者、多少動くことが困難な者、半々です。ですが、重傷者がひとり。命に別状はありませんが、安静が必要です」
「奇襲のわりに、被害はそれほどないということか」 
 キイスの報告に、我に返ってきたレグシアが呻く。
 目を向ければ、動ける者たちが馬車や荒れた積み荷の後片付けに追われていた。
「馬は?」
「今回、20頭連れていたわけですが、2頭が逃げ、馬車用の馬が4頭やられています。うち2頭は王女殿下の馬車です」
「おかげで王女の馬車はひっくり返ったということだな」
 はあ、とセシリアが深いため息をつく。そして王女は敵に襲われたわけだ。
 敵はかなりの手練だった。おかげでレグシアは王女のもとにたどり着くのが遅くなったし、セシリアはどんどんと王女の馬車から引き離された。
 こちら側に死者が出なかったのは、イグレシオの部下の中でも選りすぐった兵士だったからだろう。そうでなければ、半分はやられていた。
「それに、こいつらは仕事熱心だしな」
 倒れている黒い鎧を着た兵士に視線をやる。全員を殺したわけではなかったが、彼らは敗北を悟ると、素早く退き、逃げられないと悟った者は口の中に仕込んでおいたのだろう毒をふくんで自害した。
「オルアンナか、ダーコスか…。しかし、オルアンナにこれほどの兵士を使い捨てにする余裕などない気もしますが」
 イグレシオのいうことももっともだ。
 オルアンナはそれほど軍事に力をいれていない。いや、財政の結果入れるのが難しいだろう。あの脳なしの国王がこれほどの使い手を、所有しているとも思えない。となると…
「ダーコスか」
 レグシアのつぶやきに、緊張が走る。オルアンナとダーコスが繋がっている可能性がより大きくなったのだ。
「あちらならあり得ますね。ダーコスも、サイアルズと同じように軍事面に優れていますから」
 キイスの言う通り、ダーコスは武の国と言ってもいい。だからこそ、軍事で優れたサイアルズと長い間戦争状態にあるのだ。ダーコスとの戦争が始まってもう40年にもなる。けりをつけたくても、同等の力を持っているためそれもなかなか叶うことができないでいた。
 サイアルズとダーコスの戦争の原因は、ちょっとしたいざこざだった。元々仲が悪かった両国との間に、領土争いが起きた。それははじめ、ただの言い争いだったが、やがて武器を持ち出してしまった。サイアルズが先だったのか、ダーコスが先だったのか。それはもうわからないが、サイアルズ側が誤ってダーコスの人間を殺してしまった。それに激怒した今もなお玉座に座り続けるダーコスの王が、兵を出した。そして両国の間に、長い長い戦争がはじまったのだ。
「オルアンナとダーコス。繋がっていると思いますか?」
「…繋がっているだろうな。おそらく」
 従弟の問いに、レグシアは冷静に答えた。すると呆れたように声を上げたのはセシリアだ。
「何がつながっているだろうな、だ。だからオルアンナと手を結ぶのにはあまり乗り気じゃなかったんだ」
「…ダーコスを一掃するには、ダーコスの周りを固める必要があるだろう。例え、傾きかけているオルアンナでも、それなりにまだ資源はある。ダーコス側の味方をされると厄介だからな…」
 とにかくレグシアは、ダーコスの周りの国を味方に引き入れたかった。例え上辺だけだとしても、外堀を埋めておきたい。ダーコスに味方をする国が現れれば、その分だけ戦争が長引く。今だって、サイアルズとダーコスの国境付近では緊張状態が続いているのだ。ある程度の犠牲は覚悟の上。なんとしても戦争を終わらせたかった。
 例えオルアンナが完全にこちら側の味方にならなくても、王女を引き入れればダーコス側に与することもなく、ただ戦争を見物してくれるだろうという魂胆があった。
「だが、王女がいるというのに我々は何者かに襲われた」
 兄の考えを分かっているかのように、セシリアが強い口調で言った。その通りだ。見物どころか手を出してきた。セシリアの言葉に付け足すように、イグレシオが一歩前に出る。
「今回のこの旅、予定よりも一日早く進んでいます。ですが、奴らは知っていたかのようにここを襲った。旅の予定に関しては大まかですが、オルアンナ側にしか伝えていません」
 予定よりも一日早く進むことができているのは、王女のおかげだ。旅慣れない王女の体調を考え、余裕のある予定を組み立てていたのだが、予想とは反して王女は文句ひとつ言わず、旅も問題なく進んでいた。
「オルアンナはその情報を売った、か」
「なんのために?」
「おそらくは、サイアルズとオルアンナの間にいざこざを起こさすため…」
 訝しがるキイスを見ずに、レグシアは考え込むようにして言った。両者の間にまた戦争が起きれば、今度はただの消耗戦になる。サイアルズはダーコスとオルアンナに戦力を分断され、またそこへダーコスがつけ狙う可能性もあるだろう。他国の協力も得ることはできるとは言え、それではまた戦争が長引いてしまうだけだ。
「どちらにせよ、あの王女に人質の価値がないということだ」
 セシリアははっきりときつい口調でいった。こちら側には王女がいる。だから下手な手出しはできないと考えていたのだから、これはまずい事態になっていた。例え第一王女でなくても、王女と名乗る者を差し出して来たのだから、条約を守るつもりがあったと考えていたのだが、そうもいかなくなってきた。あの王女が何者にせよ、彼女は死んでもいい存在であるということだ。それでは、王女をサイアルズに迎えた意味はない。
 それに実際彼女は狙われた。レグシアが剣でたたき落としたが、矢は王女に向かってまっすぐ射られていた。
 誰もがそれを悟り、沈黙が広がった。あの王女を送り返しても、またそこでいざこざが起きる。それに、レグシアは個人的にあの王女を返したくないとも思った。返せばまた、彼女はオーリオのもとで微笑む。それが許せなかった。
「あの、もうひとついいですか?」
 その沈黙を破ったのはキイスだ。レグシアが頷くと、キイスは努めて冷静に続けた。
「初日にセシリア様をつけていた男、殺されました。剣で心臓を一突きされて」
「?!」
 その場にいた者が皆目を瞠った。
 男は隊を探っていて、尋問しても何一つ答えなかった。その男が殺された…?
「男に抵抗の後は?」
「ないです。まあ、元々縛られてたわけですけど」
 王の問いに、キイスは首を振る。
 縛られていたとはいえ、逃げようとした形跡もないということは、その刃を甘んじて受けたということだ。ということは、奇襲してきた者たちの仲間である可能性が高い。
「口封じか。確かに、仕事熱心な奴らだ」
 セシリアは呆れたように息を吐いた。また長い沈黙が広がるが、次にそれを断ち切ったのはイグレシオだった。
「王女の件、今回の奇襲の件。どうされますか? 早馬を出す程度は可能です」
 これを公にし、オルアンナに真相を問いただすこともできるし、本国から軍を送ることもできるというその意味を含んだ言葉に、レグシアはすぐに首を振った。
「二件とも、保留にする。ことを荒立てるのは避け、本国で検討しよう。兵を出すのはそれからでも遅くない」
 王の意志のこもった強い声に、一同は頷いた。
 確かにその通りだ。自分たちは今、戦争を終わらせるために動いている。余計な犠牲は出したくはない。
「まずはここから早々に立ち去ること。それを先に片付けよう」
 彼らを見渡して、レグシアは苦笑して言った。



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