第三章

(5)


 サイアルズへの旅は、四日目にさしていた。イグレシオいわく、予定より少し早いらしい。
 この四日間、ラティアリスは快適とはいえないまでも、不自由なく馬車に揺られていた。馬車に同乗してくれたり、一緒に寝てくれるセシリアとは仲が良くなっていた。
 それはラティアリスにとって嬉しいことであったし、思い違いでなければ、セシリアも同じ気持ちらしい。
 セシリアもラーラに代わってあれやこれやと世話を焼いてくれたりするし、何も言わなくてもサイアルズについて色々教えてくれたりもする。おかげでラティアリスにとって有意義な時間が過ごせていた。
 なんとなくだが、サイアルズでもうまくいきそうなそんな気もしてくる。
 用意された焼き菓子を頬張りながら、ここ四日間気になることがあったので、ラティアリスは思い切って質問してみた。
「あの、アサギ様は、いったいどういう方なのですか?」
 旅立つ前日に知り合った青年。ラティアリスにとったら、とても不思議な青年だった。微笑みを向けてきたかとおもうと、静かに怒っていたり、と思えばまた優しく微笑んだり。最近では、たまに自分に対してぎこちない時もある。
 怒られもしたが、アサギという青年はとても好感のもてる男性だった。怒りは正当なものだし、礼儀正しくもある。貴族でセシリアたちと親戚とも言ったが、王族直系であるセシリアも将軍であるイグレシオも、砕けたところはあるが、彼には敬意を払っているように思えた。
 そう思って口にしてみたが、セシリアは目を丸くし、口をあんぐりと開けて呆けているようだ。
「あの、セシリア様…?」
 何かおかしなことを口にしただろうか? 心配になって声をかけるが、セシリアは隣に座っているラーラに掴みかかった。
「聞いたかラーラ!!姫がアサギ殿に興味を示したぞっ!!」
「せ、セシリア様、落ち着いてください! ラーラさんの首が締まっています!!」
 何をそんなに興奮しているのか、セシリアは鼻息を荒くしてラーラを揺さぶる。ラーラはこんなときでも無表情のまま、抵抗すら示さない。そんなセシリアを慌てて止めに入るが、彼女の興奮は収まらないようだ。
「いやー驚くこともあるもんだなあ」
 セシリアは嬉しそうに笑うが、やはりラティアリスには皆目見当がつかない。ラティアリスが困った顔をしているのに気づいたのか、セシリアは、そうだった、と話を戻した。
「アサギ殿はとある領主の甥っ子でな、領主自身が多忙なのと、まだ領主の子供が幼いため、代わりに城での仕事をこなしているんだよ。で、本人も結構優秀だから、こうやっていろいろ陛下からお役目をいただいているんだ」
「そうなのですか」
 セシリアのもっともな言い分に、ラティアリスは納得した。納得したのだが、セシリアはどこか笑いをこらえているような、口元を必死で歪めまいとしているように見える。そんなセシリアに首を傾げる。それに気づいたのか彼女は、えへんとわざとらしく咳払いをした。
「それにしても、どうしてアサギ殿に興味を」
 セシリアは興味津々に聞いてくるが、ラティアリスはそんな彼女がよくわからなかった。ただ、不思議な青年だったからなのだが。
「いえ、あの方には良くしていただいていますので、どういう方かと…」
「あの奥手め」
 正直に答えると、セシリアはとたん残念そうな顔をし、どこかを睨んで何事かを呟いた。よくは聞き取れなかったので首をかしげるが、セシリアはすぐに、なんでもないと笑った。
「いやあ、ちょっとどこぞのヘタレに愚痴を呟いただけだ」
「ヘタレ…ですか」
 誰のことを言っているのか、ラティアリスには見当がつかなかったが、そのころ馬車の外で一人の男性がくしゃみをしていたことを知る由もない。
「まあ、一歩前進と言ったところかな」
「はい?」
「何、気に召さるな」
 セシリアはにっこりと笑った。


***


 午後三時を過ぎたころだろうか。一時休憩をしていたサイアルズ一行の一人、アサギことレグシアに背後から忍び寄る影があった。温かいコーヒーを飲んでいたレグシアはその不穏な空気に気づいて振り返るが、少し、遅かった。
「アサギ殿ー!!!」
「ぐふうっ!!」
 嬉々として突進してきたのは、鍛錬や日々の精進を心掛けた成果から、女性ながらにして将軍の職に就いた異母妹だった。そんな彼女のタックルは、鍛錬を惜しまぬ自分でも正直堪えるものがある。
「てめ…いきなりなにしやがんだ…」
 手にしていたコーヒーは無残にも草原にしみ込んでいる。カップの中を見れば、滴ほどしかない。眼鏡もずれた。
 恨みがましく睨みつける視線に堪えた様子もなく、セシリアは少女のように目を輝かせていた。
 そんな妹の様子に、恨みを忘れて気味悪くなる。
「どうしたんだ…?」
「聞いて喜べ! 王女はあなたに興味を示したぞっ! ヘタレなあたなにしてはよくやったもんだ!」
 喜んでいいのだろうか、それは…。褒められているようだが、貶されている気分だ。だが、セシリアの言葉に眼鏡を直しつつも目を丸くする自分もいた。
「俺に、興味?」
「そうだ。嬉しいだろう、嬉しいだろう。あなたはどのような人かと聞いて来たのだぞ」
 セシリアの言うとおり、心が騒ぐのを感じた。やばい、やはり自分は重症だ。
 そうでないと言い聞かせているのに、言うことを聞いてくれないでいる。
「そろそろ観念したらどうだ? 私は大歓迎だと言ったはずだぞ?」
 いまだに自分の気持ちを認めようとしない兄に、セシリアは呆れた。だが、レグシアは首を振った。
「だからそんなんじゃないって言ってるだろ。それに、彼女の正体もある。油断はできない」
「けっ、このヘタレめ」
「減らず口をたたくのはこの口かぁ? ああ?」
 妹の容赦のない言葉に、レグシアは青筋を立てて彼女の頬を引っ張った。いい年だというのに、ケンカの仕方が子供である。セシリアもセシリアでめげなかった。
「なんりょれもひほう、ふぇたへーふぇたへー」
「ああんっ?!」
「はいはい、そこまでです。おふたりとも。隊から少し離れている場所とは言え、兵に見られてしまいますよ」
 幼稚な兄妹喧嘩を仲裁したのは従弟の青年だった。イグレシオの顔には明か呆れの色があった。
「まったく、自分たちはおいくつだと思っているんです…。兵だけでなく、王女に見られたら呆れられますよ」
「うぐ」
 挙げられた人物に、レグシアは思わず言葉に詰まる。あまり見られていい現場でないことは確かだ。
「もうすぐ出発です。お二人ともお戻りを」
 従弟の号令に、兄妹は大人しく従った。隊に戻りながら、レグシアはふと思い出す。
「あの男の様子はどうだ?」
 旅立ちの初日の夜に、セシリアをつけていた男のことを言われたことを悟ったイグレシオは声音を下げた。
「食事も水も最低限しか与えていませんので、少し衰弱していますが、問題はありません。多少尋問は行いましたが、まだまだ口を開く様子はないですね…。それに、油断すると舌を噛み切られそうだ」
「ふうん、なかなか仕事熱心な奴なんだな…。まあいい、監視は怠るなよ」
「存じ上げております」
 レグシアの命に、イグレシオは頷く。何かしらの異分子が、この隊を探っているということなのだ。
 今のところ、隊に近付くような影は見当たらないが、油断はできない。
「それに明日の昼には国境をこえる。警戒が必要だ」
 山賊にしろ、他国の刺客にしろ、国境付近は何かと物騒だ。気を引き締めねばならない。
 王の言葉に、イグレシオもセシリアも、かたく頷いた。


***


 翌日の正午過ぎ、早めに昼食を終えた一行は、国境付近に差しかかっていた。今のところ問題は起きていない。
 後続で馬を進めながら、レグシアはあたりを見回した。
 オルアンナとサイアルズにはヴァレスという国が間に入っている。ヴァレスとオルアンナの国境は森によって区切られていた。おかげで道のまわりは木々で覆われている。身を隠すには充分で、山賊なども出やすいと聞いていた。
 国境を越えるまで、あと少しだ。
「このまま問題なく、ヴァレスに入れればいいのですが…」
 隣で馬を進めていたイグレシオが緊張を含んだ声音でいう。ヴァレスはサイアルズの同盟国だ。ある程度の危機は免れる。まあ、もしオルアンナが何か仕掛けてくればの話だが。
「素直に条約を守ってくれていればいいがな…」
 オルアンナと、サイアルズの長年の敵国ダーコスは公にはしていない同盟を結んでいるとの噂がある。そのため、同盟国の敵国であるサイアルズをオルアンナが条約を破って何か仕掛ける可能性はあるのだ。または、ダーコスが仕掛けてくるか…。どちらにせよ、そんな噂があるというのに条約を締結させたのは、なんとしてでもダーコスとの戦争を終わらせるためでもあるのだ。
「しかし、一応ですがこちらには王女がいます…。下手なことはしないと思いますが…」
「だったらいいが…」
 イグレシオのいう通りになってほしいが、はたしてそううまくいくだろうか。サクスアイールは頭が悪そうな分、心配になってくる。それに、うなじのあたりがちりちりとして気持ち悪い。何か良くないことが起こる気がしてならない。
 前方を見渡すと、木々が道に迫り、細くなっている。もうすぐで先頭がそこに差し掛かりそうだ。
 そしてその時、レグシアは殺気を感じた。イグレシオも同様で、目つきが険しくなる。
「イーグ、全員に警戒態勢をとらせろ。俺は王女の元へ行く」
「御意。ご無理はなさらないよう」
イグレシオの返事を待たないまま、レグシアは馬の腹を蹴った。途端、馬が走りだす。それと同時に、イグレシオの罵声に似た大声がその場に響き渡った。
「止まれ!! 全員武器を構えろっ!!」
 将軍の声に、行進をやめ精鋭された兵士たちは素早く武器を構えて王女の馬車を囲んだ。
 矢が森の中から飛んで来たのは、それと同時だった。

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