第三章

(2)


 オルアンナの兵士は城へ戻り、ラティアリスにはサイアルズ側から一つの馬車を用意された。
 その旅用の馬車は大きなもので、まるで一つの部屋があるようだった。簡易なものだがソファ兼ベッドもおかれ、テーブルも備え付けられていた。
 ラティアリスが柔らかなソファに腰掛けると、暫くして馬車が動き出した。
 いよいよ、本格的なサイアルズへの旅路が始まるというわけだ。今まで胸中に過っていたのは不安ばかりだったが、彼らと接して幾分かそれが改善されているのを感じる。
 ソファの向かいに座るのはラーラとセシリアだ。女性同士ということもあって、話し相手として馬車に同乗した。
 揺れる馬車の中、初めに口を開いたのはセシリアだった。
「さて、これから十日ほど揺られ続けることになるが、その点は我慢していただきたい。他のことについては聞ける範囲では、すべて応えられるようにしよう」
「お気遣いありがとうございます。なれない旅路ゆえ、迷惑をかけることになるかもしれませんが、なにとぞ、よろしくお願い致します」
 気遣いがうれしくて、ラティアリスは微笑む。するとセシリアはふむ、と顎をさすった。
「あの人も、イーグも言っていたが、噂とはあてにならんものだな。オルアンナのアルマリアは、割と気の強い女性で、あまり我慢強い方ではないと聞いていたのだが…」
「えっと、それは…」
 噂とはどこまで浸透しているのだろう。それにあの人とは誰だろうか。だが、動揺してそれは言葉にならない。
 確かに、本物のアルマリアであれば、こんな旅行く前から不平を洩らしたに違いない。ラーラをいろいろと顎で使っただろう。
 どう返そうか悩んでいると、それを遮るようにセシリアはつづけた。
「ま、所詮は噂というわけだな。私も、そのような者が姉になるよりか、あなたのような方が姉になるほうが嬉しいし」
「…でも、まだこれからどうなるかわかりませんよ? 実はものすごく性格悪い女かもしれません」
 何か失礼なことを言われている気がしないでもないが、あえてそこは無視し、少し考えて意地悪そうに言ってみた。セシリアはきょとんとしたが、すぐに豪快に笑う。
「あっはっはっ! あなたは実に面白い人だ。だが、私も人の上に立つ人間だ。それなりに人なりを見分けられる自身がある。だから姫君、あまり無理をなされるな」
「…そんなに私はわかりやすいですか?」
 セシリアに笑われ、ラティアリスは少し恥ずかしくなった。無理をしているのが簡単にばれてしまったのだ。
「ああ、けれどそれは悪いものではない。あなたの人となりはとてもいいものだと思うから、無理に作らないほうがいいのだよ」
「?!」
 優しく微笑んだセシリアは、中性的な外見もあってか、ラティアリスは妙に惹かれてしまう。女性が女性に憧れることがあると聞いたことがあるが、それもこの類なのだろうか。
 少し高鳴る鼓動を抑えつつ、ラティアリスは不安に再び駆られた。このままサイアルズへ行って本当に大丈夫だろうか。あまりに性格が違いすぎていては問題ではないだろうか。ラティアリスは残念ながら役者でも、役者志望でもない。
 オーリオは旅立つ前日に無理にアルマリアらしく振る舞わず、ありのままの自分でいればいいと言ってくれたが、本当にそれでいいのだろうかと不安になってくる。
「どうかしたか? 姫君」
 黙り込んでしまったラティアリスを訝しく思ったのか、心配そうにセシリアが顔を覗き込んできた。
 そうだ、やはりここで変な態度をとって不審に思われるよりも、自然にふるまってしまったほうがいいだろう。そのほうが、余計なぼろを出さずに済む。
「大丈夫です。なんでもありません…それよりお聞きしたいことがいくつかあるのですが」
 ラティアリスは微笑んで、話題を変えることにした。
「私でよければ何でも答えよう」
「ありがとうございます。その、やはり気になっているのですが、サイアルズの国王陛下はどのような方なのでしょう?」
 これは嫁ぐことが決まってからずっと思っていたことだった。自分は側室とはいえ、やはり夫は夫。気にならないわけではない。噂では思慮深く、また武勇に優れ、良識にあふれた人物と、割と好印象のものばかりだ。
 彼が王になってから国はさらに栄え、その業績からサイアルズ歴代一の国王、または最高の王として獅子王とまであだ名されている。
「ガキだな」
「は?」
 セシリアはふと考えたそぶりを見せて、きっぱりと言った。思わぬ回答に、ラティアリスは目を丸くする。
「いやーからかうとまさに予想した通りの反応返してくるし、頭はいいんだけど、馬鹿だし。あと、さっき気づいたが、割とヤキモチ焼きってところかな?」
「はあ…」
 なぜさっきわかったのか、よくわからなかったが、セシリアの返答に戸惑ってしまったため声に出なかった。
 だが、セシリアは一人うんうんと頷いて、納得している様子だ。
「姫君の国で、我が国王陛下は何と言われているのかな?」
 セシリアの問いに、ラティアリスは伝えられていることをそのまま話した。すると彼女はエメラルドの瞳を丸くさせたかと思うと、破顔した。
「あーはっはっはっはっ!!なんだそれはっ!!いやま、確かにあってないこともないが、ちょっと美化しすぎじゃないか?!なあ!ラーラ!!」
 余程おかしかったのか、セシリアは目に涙をためている。あまりに大声で笑うから、ラティアリスは呆けてしまった。しかしそんな姫君にあるまじき笑い方をしても、セシリアは美しい。
 問いかけられた侍女は無表情のまま「私はよくわかりません」と冷静に答えていた。
「あーおかし。いや、すまない、ちょっとツボに入ってしまって…。うん、合っていないことはないんだ。確かに兄上は知にも武にも長けている。だが、ちょっと人間味がありすぎてな、甘ちゃんなところもあるんだよ。情に厚いというか、脆いというか…まあ、それが彼らしいというべきかもしれないが」
 大笑いしていたその表情は、いつの間にか少し嬉しそうな笑みに変わっていた。彼らは大変仲のいい兄弟なのだろう。自分も、オーリオやカリルローラ、マリアンナを想うとどこか幸せな気分に満たされる。半分しか血の繋がっていない兄弟。けれどもかけがえのない兄弟だ。
「そうですか、私、少し安心いたしました。レグシア陛下とうまくやっていけるかどうかは、まだわかりませんが…」
「何、そんな気負う必要はない。あちらのほうが仲良くなりたがるだろうからな」
「? そうなのですか?」
「ああそうだ」
 どうしてそういえるのかわからないが、セシリアは楽しそうに笑う。その笑みは、まるでアサギをからかっていた時のようだ。
「それに、知っているとは思うが、兄上には正妃がまだいない。それどころか、他に側室もいないんだ。だから、それほど不安に思う必要もないだろう」
 そういえばそういう話を聞いたことがあった。レグシア王は大変容姿にも優れているが、どういうわけか、30歳近くなった今でも、まだ一人も妻を娶っていないという。それどころか、妾すらいないと聞いた。
「どうしてなのですか?」
 王は確かに国をいかにうまく治めるか、それが仕事だ。まあ、サクスアイールはそれが実行できていないが…。だが、それが仕事だけではない。世継ぎをつくることも立派な仕事の一つだ。血筋はそれだけでカリスマ性を持っているのだから。
「まあ、本人にその気がないんだろうな。うん、男が好きってわけでもなさそうだから、やっぱただ単にその気がなんだと思う。だから貴方がかわいい甥っ子か、姪っ子を産んでくれたら私としても安心できるよ」
「あ、はい、努力いたします…」
 美しい中性的な笑みを向けられたから、それとも子作りの話をされたからか、それはわからないが、ラティアリスは心なし頬を赤くした。


***


「くしゅんっ」
 女将軍の大爆笑する声が聞こえてきた気がする馬車を、隊から少し離れたところで馬の上から眺めていたアサギは突然襲ったくしゃみに首をかしげた。くしゃみの衝撃でずれた眼鏡を直す彼の傍に、ゆっくりと馬を並べてきたのは彼の従弟でこの隊の指揮官だった。
「風邪ですか?」
「いや、そのはずはないんだけど」
 鼻をすすりながら、イグレシオに応える。ふと彼は馬車に視線をやる。
「気になりますか? まあ、城で思いっきり睨みつけてきたわけですけど。あとベールとか」
「うるさいな」
 イグレシオの声はどこか楽しそうだ。こいつもセシリア同様自分をからかう気かと警戒するが、イグレシオはただ微笑んでいるだけだった。
「あまり隊から離れないでくださいね。あなたの警護は限られたものしかできないんですから」
「わかってるよ。だが、自分の身は自分で守るから問題ない」
「ご自分のお立場、わかってらっしゃるんですか?」
 ああ、また胃が痛くなる。そういってイグレシオは腹を抱えた。若いのに気負いすぎる従弟に、アサギは苦笑いする。
「しかし、噂と全然違いますね」
 イグレシオが馬車のほうに視線を戻していう。その話題の人物はすぐに思い当たり、苦笑いした。
「噂は所詮噂っていうけどな」
 そう言ったアサギの目つきが少し鋭くなったのを見ながら、イグレシオは話を続けた。
「ええ、ですがあまりに違いすぎる気がします。アルマリア王女は今年で23歳と聞いていますが、彼女はどうみても17か18くらいではないでしょうか…これは」
「イーグ、滅多なことは言わないほうがいい」
「ですが…」
 アサギの諌める言葉に、イグレシオは詰まったが、やはり何か言いたげだった。云いたいことは理解しているが、あまりいいことではない。
「お前の気持ちもわからないでもない。多くの命を犠牲にして得た王女だ。そうは思いたくはないのだがな。だがまあ、考えになかったわけではないだろう」
 そう、アルマリア王女は敵味方両方の命を持って得た大事な品だ。
 そうは思いたくはない―――『偽物』などと。それは昨日も散々思ったことだ。だが、あちら側が偽物を出してくる可能性を考えなかったわけではない。王女を差し出すにあたって身代りが使われるというのはよく聞く話だ。
「…調べますか?」
 イグレシオの低い声音に、アサギは少し笑った。
 この従弟はお人好しなところがあるが、将軍として、王の家臣として、ときに冷酷になる。それは彼が自分自身にそう戒めているからだ。あまり自分を押し殺してほしくないと思いながらも、その助力がなければ自分もうまく立ち回ることができないのだから、情けなくなる。
「いや、まだいい。今はあちらとの関係をややこしくしたくない。あちらが彼女をアルマリア王女というのであれば、それでいいだろう。ま、今のところはだけれどな」
 そう、今は、だ。
 そもそも王女を得た理由は、サイアルズの隣国ダーコスを警戒してのことだった。ダーコスとはレグシア王が王位に就く前から、長年戦ばかりしている。ただの消耗戦なりつつあるこの戦争に終止符を打つため、ダーコスの隣国オルアンナを手中に収めておきたかったのだ。
 もちろんいきなり戦を仕掛けたわけでない。話し合いで解決しようと何度かオルアンナに使者を送ったが、門前払い。仕方なく兵を出したのだ。
 とはいえ、まだダーコスを討つには時間が必要だ。ダーコス近くの他の国を抑えなければならないし、サイアルズの北に隣接するレーイシス大陸一の大国――コラテリアル帝国の助力をしっかりと取り付ける必要もある。
 しかし、考えると頭が痛い。
「ま、ダーコスを探っているケンが戻ったら、また頼むさ」
「休みなしだと、彼拗ねますよ」
「高い給料出してんだ。それくらいやってもらわな困る」
 話題の人物に、イグレシオは苦笑いするが、アサギはきっぱりと言った。それにこの手のことに関して、その人物はエキスパートだ。彼以外には任せられない。
「考えることは山積みだな」
「心中お察しします」
 ふう、とため息をつくと、イグレシオの表情はいつもの優しい穏やかなものに戻っていた。やはり、彼はこちらのほうがいい。
「それにほら、せっかくお妃を娶られたのですから、色々お出かけしてはどうですか? 少しは気が晴れるかもしれません」
「向こうがよければの話だろう?」
 少し拗ねたように言うと、イグレシオは笑う。年の割に奥手なのだ、彼は。
「大丈夫ですよ。彼女はとてもいい女性です。彼女の正体が何であれ、少しくらい付き合ってみるのもいいと思いますが」
「あー…まあなあ…」
 サイアルズ国王の妻になる女性を思い浮かべ、アサギは頭をかいた。
 流れるような銀の髪。引きこまれそうな藍色の瞳。そこにただ佇んでいるだけで、魅了してしまう花のような美しさ。
 昨日のこともあってか、王女のことが気になって仕方ないのは事実だ。それは噂とは違いすぎるからか、彼女自身と接したからか。
 だがこの少女のような女性が、自分の妻になるかと思うと胸が高鳴ったのは事実だ。謁見の時、その藍色の瞳に引き込まれてしまった。同時に、自分の中で何かがわきあがった。
 紳士の挨拶である手の甲への口づけも、自分以外の者がするのを許したくなくなるほどに。
 しかも彼女は同性であるセシリアにときめいていたようだった。セシリアは確かに中性的で美しいかと思うが、何もあんなあからさまに見惚れなくても…。本国には女性によって私的に設立されたファンクラブもあるというし、致し方のないことかもしれないが、やはりいただけない。
 アルマリア王女は、大変高飛車で、気が強く、オルアンナを傾けた張本人とまで言われている。
 正直、そのような女性を側室とはいえ妻になど迎えたくはなかった。だが、王が溺愛するとまで言われている王女は人質として充分に価値がある。我が侭な彼女は、妖艶な美しさを持っているといわれていたので、それなりに見栄えすればいいと思っていた。
 象徴には見かけも必要なのだ。
 けれども、現われたのはおとなしそうな、柔らかな花のように美しい女性だった。
 噂とはあてにならないものだ。
 いや、噂であってほしいと思う。
 月明かりの下、花のように微笑む王女を思い出し、快晴である真っ青な空を見上げ、アサギ・リトアーデ―――いや、サイアルズ国王レグシア・アシオ・ジーク・サイアルズは願った。

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