第三章

(1)


 翌朝。その時はやってきた。
「あらためまして、アルマリア王女。私はイグレシオ・グレイス。今回の旅を指揮する者です。道中の御身、必ずやお守りいたしましょう」
「どうか、サイアルズ王国への旅路、よろしくお願いいたします」
 旅立ちの場に選ばれたのは、城の入口に近い広場だった。見送りに来たのは、王とその側近、そしてオーリオたちだった。事情もあってか、あまり物々しいものではなく、ただ質素に、その場は取り仕切られた。
 アルマリアとしてラティアリスが嫁ぐことを知っているものしか、ここにはいなかった。
 イグレシオは30名ほどの兵を率いてやってきたというが、本隊は城下町から少し離れたところに駐屯しているらしい。
 ラティアリスは薄いベールに顔を隠し、イグレシオに頭を下げる。イグレシオも彼女の手を取り、その甲に口づけた。すると、イグレシオは何かに気づいたのか、背後を振り返る。そこにはアサギや、女将軍たちの姿があった。
「どうされました?」
 ラティアリスは不思議に思って首をかしげるが、イグレシオはため息をついてすぐに顔を戻した。
「なんでもありません。ちょっと悪寒を感じただけです」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
 風邪を引いているのだろうかと心配になったが、イグレシオはそんなラティアリスから逃れるように姿勢をただした。
「それでは、参りましょう、姫」
「あ、はい。それでは皆様、行ってまいります」
「しっかりやるのだぞ。お前は国を背負っているのだからな」
 言葉はしっかりしたものだったが、王は発した口調には若干皮肉みが見られた。いやしく歪む口元を、必死に抑えているようだ。
「はい。お兄様」
 ラティアリスはただ頭を下げた。ここでは、自分はアルマリア。
 これからも、それを決して忘れてはならない。
 見送ってくれるオーリオたちに軽く会釈をし、まともに顔を見ぬまま、ラティアリスはイグレシオの手を借りて馬車に乗り込んだ。
 彼女についてくる者は少ない。ゲーテは結局、城に残ることになり、使者が数名サイアルズに入ることになっている。


***


 馬車は静かに街中を進んでいく。
 民は物珍しげに馬車を見つめているが、中には憎悪を含んで睨みつけている者もいた。
 馬車に王女が乗り込んでいることを知っているのだろう。
 街は荒んでいた。
 アサギの言葉が蘇る。
 活気があったのは城に近い中心部だけで、そこから抜けると、どこかどんよりとした暗い雰囲気に包まれている。城下町にまで、貧富の差は及んでいるのだ。
 彼らが襲ってこないのは、サイアルズの兵士と、そしてラティアリスが馬車に乗りんだあと合流した、本隊まで供にすることになっているオルアンナの兵士が付いているからだろう。
 辛いと分かっていて、ラティアリスは彼らから目をそらすことができなかった。自分も、彼らの血税で暮らしている人間なのだ。
 もしかしたら自分は、新たな火種となるかもしれなかった。
 ただでさえ悪政に苦しむ彼らを、今度は暴力によってさらに追い詰めることになるかもしれない。それがラティアリスの不安だ。サイアルズだけでなく、自国をもだます王女。命令されたためとはいえ、それが心苦しかった。
 なんとしてでも、自分はサイアルズでうまく立ち回る必要がある。
 もし嘘がばれれば、この命を差し出そう。
 目の前で流れていく景色を見ながら、ラティアリスは改めて誓った。
「さびしいですか」
 同じ馬車に乗り込んだイグレシオにそう声をかけられ、ラティアリスは我に返った。
 寂しい…。たぶんそうなのだろう。街に出たことはなかったが、ただ今は離れていく故郷がいたく恋しい。
「そうかも、しれませんね…」
「サイアルズはいいところです。ご家族と離れ、さびしい思いをされるかもしれませんが、同じようにきっといい思い出もできると思いますよ」
「ええ、楽しみです」
 ラティアリスは微笑んだ。
 そしてふと、自分がベールをし続けていることに気がついて、それをはずそうとした。
 もう必要ないだろう。万が一を考えてベールをしたが、ついてきている使者はみんなラティアリスのことを知っているし、兵士たちはアルマリアの顔を知らない。それにこのままではイグレシオに失礼だ。
「あ、待ってください」
「え?」
「できればはずさないでください。でないと、ちょっと怒られるので…」
「怒られる、ですか…」
「はい、まあ…ちょっとうるさいんですよね、あの人…」
 イグレシオは何やらぐちぐち言っているが、ラティアリスは皆目見当がつかない。
 訝しく思っていると、それに気がついたイグレシオが慌てて取り繕った。
「いえ、ずっとしていただくわけではありません。本隊と合流した時には外してくださって結構です。その時に、旅用の馬車にも乗り換えていただくつもりですので」
「はあ…」
「それとアルマリア様」
「え、あ、はい」
 どうもアルマリアと呼ばれることに慣れていない。慌てて返事をするが、どうやらイグレシオは気づいていないようだ。
「私のことはどうかイーグとお呼びください。親しいものからは、そう呼ばれていますので、姫にもそう呼んでいただけるとありがたい」
 にっこり微笑んだイグレシオは、大変親しみやすい人物だった。
 ラティアリスもつられるように、ベールの下だが微笑んだ。
「ええ、ではお言葉に甘えさせていただきますわ、イーグ様」
「………」
「? イーグ様?」
「あ、いえ、なんでもっ」
 一瞬呆けたようにも思うが、イーグはすぐに我に返って手を振った。そしてその手で困ったように頬をかいた。
「いえ、なんだか噂と違うなあ、と思いまして…。とても気難しい方と聞き及んでおりましたので」
「……」
「あ、いえ、その、噂ですから」
 失言にイーグはあわてて言い繕ったが、ラティアリスはただ微笑んだ。
 自分の動揺を隠すように。
 そうだ、自分はアルマリアだ。
 アルマリアは元来プライド高く、気高い女性だ。自分に自信を持ち、常に彼女は王者だった。
 美しく、気高い彼女の噂は他国にも及んでいるらしい。
 しかし、ラティアリス自身の性格と、彼女の性格とは違いすぎた。
 ラティアリスはおとなしい性格だ。争いを好まず、目立つことは苦手であった。アルマリアとは正反対の性格なのだ。
 自分らしく振る舞っていればいいと、オーリオは言った。その言葉を、胸の中で反復する。
「姫?」
「いえ、気になさらないでださい」
 ラティアリスは微笑んだ。


***


 本隊と合流し、礼式用の馬車から降りた彼女を迎えたのは、アサギと金髪の女性、本隊を一時的に取り持っていた男性、そして使用人服を身につけた女性だった。さらに兵隊たちが周りを囲む。オルアンナの兵士たちは隅に追いやられ、ラティアリスの存在を確認するのも難しそうだ。
「では、王女、ご紹介させていただきますね。彼はアサギ・リトアーデ殿。サイアルズの貴族です」
 イグレシオはアサギとラティアリスが知り合いということを知らないのだろう。アサギもそれがばれては困るのか、謁見以来の顔をした。
「謁見のときぶりですね、王女。気易くアサギとお呼びください。あと、できれば、そのベールを外していただきたいのですが…」
「え?」
 微笑んで言われたその要求に、ラティアリスはさっきの馬車内での話もあって、外していいとはいわれたが、本当に外していいのか分からず、イグレシオに振り返った。
 するとイグレシオはどこか呆れているようだ。周りの者たちも同様である。
「構いません。できればはずしてください」
「あ、はい」
 イグレシオの許しをえたラティアリスはそっと頭からかぶっていたベールを外した。
 アサギの顔がはっきりと現われる。よく見せてくれた、優しい笑顔だ。しかしなぜか周りがしんとなって、ラティアリスをまじまじと見つめた。
「あの…?」
「いえ、気になさらないでください。これからどうぞよろしくお願いいたします」
 そう言って彼はラティアリスの手の甲に口づけを落とした。
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
「はは、皆はどうやら姫の美しさに見とれてしまったようだな」
「余計なことをいうな、セシリア殿」
 横から割り込んだのは、中性的な顔立ちの女性だった。その身を兵装で包み、腰には剣が差されていた。
「おや、ひどいねえ。私は本当のことを言ったつもりだが? まあ、見惚れてしまったのは私も同じか」
 睨みつけるアサギに、彼女は茶化すように言い、ラティアリスに向き直る。
「はじめまして、ではないかな、オルアンナの姫君。あの場で挨拶が出来なかったのが残念だったよ。私はセシリア・アイン・サイアルズ。イーグとおなじ、将軍職に就いている」
「将軍…ですか」
「ああ、オルアンナでは大変珍しく見えるだろうがね」
 そういってセシリアは、ラティアリスの手をさっととり、口づけた。女性から初めて受けたラティアリスは顔を真っ赤にさせた。
「セシリア殿」
「おや、心が狭いね、アサギ殿は」
 どこか不機嫌そうなアサギに、セシリアは笑うだけだ。男性的な口調も相まってか、彼女は大変魅力的な女性に思えた。それと同時に、ひとつ疑問が浮かぶ。
「サイアルズ…王族の方ですか?」
「そうだよ。私は先王の第一王女、で現王の妹にあたる。だがまあ、あまり深く考えないでくれたまえ。私は私だ。王女より武人のほうが性に合っている」
 豪快に笑うセシリアは、どんな男性よりも本当に魅力的に感じた。思わずあこがれの視線を送ってしまう。
「セシリア殿、それくらいでいいだろう。時間も推している」
「おや、そうかな? じゃあ私は次に譲ろう」
 アサギに言われたセシリアが一歩引くと、続いたのは本隊をイグレシオに代わって預かっていたらしい青年だった。青年はそっとラティアリスの手をとり口づける。
「俺、キイス・マグワイアって言います。イーグ閣下の部下です」
「はあ…」
「あだっ」
「『私』だ、『私』」
 えらく軽いノリの金髪の青年を、イグレシオは青筋を浮かべて叩いた。ラティアリスに向き直り、申し訳なさそうな顔をする。
「申し訳ありません。私の教育の不届きでございます…どう詫びたらいいか…」
「閣下ってば、相変わらずまじめー。そんなんだったらすぐに禿げちゃいますよ?」
「キイス!」 
「いえ、気になさらないでください。とても親しみやすい方で、私もうれしいですわ」
「さっすが姫様っわかってるー」
「いい加減にしろ」
 尚も軽い調子の部下に、イグレシオは拳を奮わせる。だが、ラティアリスが言ったことは事実だ。兄のオーリオがそれほど堅い人間でもなかったので、こういう風に接してくれるほうがありがたい。
 それに、皆どこか柔らかいところがある気がした。いや、柔らかいのだ皆。城では悪意の目がほとんどだったから。
 どうにも、彼らが自国に攻め入ったなどと、感じられなかった。
「で、なんで俺はアサギ様に睨まれてるんですか?」
「気にするな」
「気にしますよ」
 自分より長身の男性に睨まれ、キイスはたじろぐが、それの理由を知っているのかセシリアは笑いをこらえ、イグレシオは呆れていた。
「まったく…では、最後になりますが、紹介させていただきます。彼女は、これからあなた様のお世話をさせていただきます、ラーラです」
 イグレシオの紹介で一歩前に出たのは、金髪の美少女だった。どこか表情が乏しい気もするが、セシリアとはまた違ったその美しさには、思わずため息をこぼしそうになる。
「はじめまして、アルマリア様。只今ご紹介に上がりました、ラーラと申します。あなた様の身辺を任されております。どうぞ、何かございましたら遠慮なくお申し付けくださいませ」
 恰好からしてラーラは使用人だった。つまり、彼女はラティアリス付きの侍女ということだ。これから世話になる身として、ラティアリスも頭を下げ、握手を求めた。
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」
「………」
「? ラーラさん?」
 どういうわけか、ラーラは差し出された手をじっと見つめた。その表情には変化がないが、どこか悩んでいるように思える。
「…私も、セシリア様のように口づけをするべきでしょうか?」
「え?」
「せんでいいせんで!」
 思わぬ回答に、肩がずり落ちそうな感覚にとらわれたが、ラーラが実行する前に止めたのはアサギだった。
「ラーラ、そもそも女性同士でそういうことはしない」
「ですが、セシリア様はなさいました」
「セシリア殿はあれだ、特別だ。見習うな」
「あれってなんだあれって」
 不服を漏らす女将軍を無視して、どこかずれたところのある侍女にアサギは一生懸命いいきかせた。まるで兄が世間知らずな妹に物事を教えているようだ。
「こういうときは、握手でこたえるの」
「……わかりました」
 渋々といったように、ラーラはラティアリスの手を握った。ラティアリスも、戸惑いながらも握りかえす。
 なんだか、サイアルズの人たちは柔らかいところがあるというか、変わったところがあるような気がしないでもない。
「私も、セシリア様のようにしてみたいのですが」
「だからやらんでいいっ!」
「モテモテだなあ、姫様」
 どうやらラーラはラティアリスに騎士の挨拶をしたかったようだ。必死で止めるアサギを、けらけらとキイスが笑う。その横では、イグレシオが呆れたように溜息をついていた。
「いや、しかしこれほどの美女を娶る陛下が、まことに羨ましいな」
 まるで茶化すようにセシリアがいうと、アサギは不機嫌そうにぎろっと彼女を睨みつけた。
「余計なことは言わなくていいだろう、セシリア殿。姫君が不安になられる」
「ほう、それは失礼した」
 やはりセシリアはどこか楽しそうだ。ラティアリスはわけがわからなかったが、イグレシオは今度は気分が悪くなったのか、青い顔をしていた。
「あの、とりあえず問題起こさないでくださいね。一応、私が今回の責任者なんですから」
「おや、まるで私たちが何か起こすような言いっぷりだな、イーグよ」
「というか、アサギ様とセシリア様が姫を迎えに上がるのに同行すると聞いた時点で、もう問題起きてますよ」
 まったく、とイグレシオはまたため息をついた。
「心外だな」
「私もセシリア殿と同列にされるなどかなわん」
 けっとアサギは悪態をつく。アサギは20代半ばくらいに見えるが、どこか子供っぽいところがあるらしい。
「あなたたちお二人が喧嘩されると、こっちの胃が持たないんですよっ。そもそもお二人とも本国で姫の到着を待つ予定だったじゃないですかっ!」
「だって見たかったんだもーん」
「まあ、その点はセシリア殿に同意するな」
「ああもうー」
 あっけらかんと言う二人に、イグレシオはがくりと肩を落とす。
「そんなムキにならないほうがいいっすよー、閣下。だってこのお二人ほっときゃ皮肉の言い合いじゃないですか」
 もっとポジティブに生きなくちゃー。そういう部下を、イグレシオはすごい形相でにらみつけた。まるでお前も少しはまじめになれと言いたげだ。
「皆さん、仲がよろしいんですね」
 そんな様子を見守っていたラティアリスが、素直に感想を述べた。
「こ、これのどこをどうみたら、仲良く見えるんですかっ」
「え?」
 彼女の言葉に食らいついたのはアサギだった。その表情にはいささか恥じらいが見られるようにも思う。
 ラティアリスの前で思わぬ醜態をさらしてしまった気がしたのだろう。
 だが、ラティアリスは本当にみんな仲がいいと思ったのだ。皮肉を言い合うのも、サクスアイールやオーリオと違って、憎悪のようなものは感じられないし、言い合いを楽しんでいるようにも思う。
 まるでそれが信頼の証のようにも思えた。
 それに、アサギの新たな一面を見れた気がしてうれしくもなった。
「だって、本当に仲が良く見えましたので…。まるで御兄弟のようですわ」
「………」
「あら、私変なこと言いました?」
 急に場がしんとなったので、ラティアリスは目を丸くした。何かまずいことを言っただろうか。するとそれを断ち切るようにアサギが咳払いをした。
「…なかなか洞察力のある人だな」
「え?」
「気になさることはないよ。兄弟、ではないが、私とアサギ殿、それとイーグは親戚関係でね」
「そうなのですか」
 思わぬ告白に、ラティアリスは目を丸くした。ということは、アサギもイグレシオも王族の血縁になるわけだ。セシリアは微笑みながら続ける。
「で、まあ、兄弟同然に育ってきたから、兄弟といってもおかしくないか」
 そういったセシリアはどこか楽しそうだった。


 

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