第二章

(2)


「俺は誓おう。何があっても、お前を忘れることはない。遠くからではあるが、お前を守ると―――」
 その言葉を塀の向こうで聞いたアサギは、言いようのない不快感が胸に宿るのを感じた
 なんてことだ、敵対しているはずの弟とアルマリアは恋仲だったのか。しかし、オルアンナでは近親者同士の恋愛は先々代に御法度となったはず。もしかしたら、まだそれが抜け切れていないだけなのかもしれない。
 アサギは内心舌打ちして、すぐその場をさった。あまり人がいないとはいえ、長居は危険だ。それに、これ以上二人の会話を聞いていられなかった。
 来た道を戻りながら、先程出会った王女を思い返した。
 謁見では終始うつむき加減で、まるで花が萎れているような印象を受けた。兄王はその妹を溺愛していると聞いていたが、なんともひどい扱いだ。
 それに妹も妹で国を傾けた張本人であるというのに、「国に役立てるなら」ときたものだ。
 城下町にたどり着くまでに見た村や町の様子、城にたどり着くまでに見た城下町の様子。それは目を向けることすら難しいものだった。オルアンナが簡単にサイアルズの手に落ちたのにも納得だ。
 しかし、微笑んだ彼女はそんな人間とは思えなかった。自分はそれなりに人を見るのが得意のつもりだ。それとも勘違いなのだろうか。あの花のような姫君は、欲にまみれて血税で遊び呆け、民を苦しめていると?
 だが、思案してもそのような人間にはやはり思えない。一体どちらが本当なのか。
 それにしても、サクスアイールは脳なしときいていたが、その通りだ。こんな状態の民を放っておいて、自分は玉座にふんぞり返っている。王として何たることだ。
 陰になっている道とはいえない場所を通り、城へとたどり着く。誰もいないことを確認してから、渡り廊下から侵入した。
「警備が薄すぎるぞ」
 城を襲撃されたらどうするつもりだ。
 あまりに手薄な城の様子に、敵国ながら心配になる。だが、腐りきっている上の連中を思うと、いっそ襲撃されるべきなのだろうとも考えた。
 与えられた客室にたどり着き、何の迷いもなく扉を開ける。するとそこには腕を組んで仁王立ちした、自国の六将軍を最年少で務める青年がいた。
 とたん、自分の中にどんよりしたものが渦巻いた。
「なんですかその眼は。うわーめんどくせえのに捕まったーみたいな」
 自分より5つ年下の将軍閣下は、怒っているようだ。まあ、言いつけを破ったのは自分だから当然だろうが。
「なんだわかってんじゃん」
「うるさいですよ。どこにいってたんですか、この敵国の中心地で」
「散歩」
 きっぱりはっきりいったアサギの言葉に、イグレシオの額に青筋が浮かぶ。
「私は言ったはずですよ!ついてくるなら、勝手な行動は慎んでくださるようにと!それにあなたのことは殿下からも言われておりますっ!」
「お前の上司は国王だろ」
「殿下は元上司です。元であっても殿下は私の上司に変わりありません」
 きっぱりという真面目な将軍に、アサギは頭を抱えた。真面目なのはいいことだが、少しくらい融通がきいてもいいのではないだろうか。
「なんですか、反省の色なしですか」
「あーしてますしてます」
「棒読みじゃないですかっ!!知ってますか、あなたが勝手な行動をするたびに、私の胃は締めつけられていくんですよ!!」
「若いんだから、胃薬の乱用はやめとけよ」
「誰のせいだと思ってるんですっ!!」
 怒るイグレシオを軽くあしらいながら、アサギはさっさとベッドに身を沈めた。イグレシオの小言はまだまだ続いていたが、無視を決め込んだ。
 そのうち小言が泣き言へと変わっていく。
「なんでいつもあなたはそうなんですか…ちょっとは私のことも考えてくださいよ。今回の責任者私なんですよ…あなたに何かあったら、殿下に殺される…」
「何も問題なかったんだからいいじゃねえか。あいつには俺からも言ってやるから」
 若い将軍は、その業績から雄々しくみられることがあるが、実のところストレス性の胃痛を抱えた神経質な青年だった。実力は確かにあるし、戦場で馬を駆ける姿は目を瞠るものがある。だが、どうも周りを気にしすぎるようで、それは胃薬を常備しているほどだ。
「問題を起こす可能性すら作らないでくださいっ!」
「あーはいはい。とりあえず、宴が始まるまで寝かせてくれ」
 完全に寝る態勢に入ったアサギに、もう何を言っても無駄だと思ったのかイグレシオは諦めて、一礼して部屋を出て行った。
 アサギはごろんとベッドの上で仰向けになる。
 思い出すのは姫のことだ。
 暴君のようにふるまうと噂されている王女。国のために役立ちたいという王女。
 いったいどれが本当だ。
 弟がやってきたときの嬉しそうな彼女の声を思い出し、アサギは舌打ちした。
「おいっセシリア様はどこにいった!!」
隣室から、将軍の悲痛な叫びが聞こえてきた。どうやら、脱走者は自分だけではないらしい。


***


 サイアルズの使者を迎えた立食形式の宴は、謁見の時と同様小さなものだった。
 謁見時よりも人は多かったが、主催者であるはずのサクスアイールは使者の相手もせぬまま、宴を開く号令だけして退出し、宴の中心人物であるアルマリアは気分が悪いからと出席すらしていない。
「これは宴と言えるのか?」
 不服そうに言うのは、身分を隠して使者としてやってきた六将軍の紅一点、セシリアだった。
そんな彼女に、アサギは苦笑いする。
「仕方ないだろう。俺たちは国を攻めてやってきた、いわば悪者だ。不当な扱いは当然じゃないか?」
「まあ、あなたがそういうのであれば、別にいいがな」
 セシリアはグラスを傾ける。イグレシオはオルアンナの貴族たちと談笑にいそしんでいた。
 朗らかに笑いながら、当たり障りのない会話を続ける彼は胃痛持ちには思えない。
「なんだかんだとあいつは、ああいう外交的なもの上手だよな」
「もともと社交性はあるからな。イーグが胃を痛めるのは主に俺たち関連だし」
「ああ、今日勝手に部屋を抜け出して怒られた」
「気にするな、俺もだ」
 言っておきながら、二人に反省の色はない。イーグことイグレシオが胃を痛める原因は、当人たちのお気楽な行動と思考にあるため、どうしようもないだろう。
「姫が来なかったのは残念だな。彼女は私の好みだ」
「誤解を招くような言い方はするな」
 けろっと言い放ったセシリアの言葉に、アサギは呆れた。
 セシリアは金の髪を腰まで伸ばし、女性にしては長身、中性的な外見と男性的な口調も相まって、非常に同性である女性たちに受けている。こうやって立っているだけでも、オルアンナの淑女たちは興味ありげに視線を送っていた。
 本人も女性にちやほやされることに悪い気はしないようで愛想良く笑みを向けるし、自国ではその人気からファンクラブなんてものあると聞いた。
「だが、事実だ。妖艶だか何だか聞いていたが、どちらかというと花のような美しさではないか。ああいう可愛い娘は見てて飽きない」
 彼女の言う通りだ。
 それは自分が何度も思ったことである。噂とは根や葉をつけて広がるものだが、あまりにも違いすぎる。花のように微笑む姫を思い出し、アサギは踵を返した。
「どこへ行く?」
「夜の散歩」
「またイーグが腹を痛めるぞ」
「その前に帰ってくるさ」
 セシリアの忠告に、アサギは笑って返した。宴の部屋から出て、客室へ向かう。
 人がいないことを確認し、庭に飛び出ると、昼に通った道とはいえぬ道を歩き出した。


***

 
 宴にはラティアリスがアルマリアとして嫁ぐことを知らないものも出席するということで、仮病を使って欠席をすることになった。元々、宴などは得意でないからありがたいことだ。
 アルマリアの庭の定位置に座り、ラティアリスは月を見上げていた。月はいくらか欠けていたが、その美しさはかわらない。
 オルアンナにいるのも、今日で最後の夜だ。マリアンナやカリルローラとまともに会えなかったのはさびしかったが、オーリオの言葉に励まされたので、幾分か心は晴れていた。
――マリアンナやカリルローラの心は、いつもラティアリスの傍にいると。
 大丈夫。自分は他国でもやっていける。
 それにオーリオは変に気張らず、ラティアリスらしく振る舞えばいいと言ってくれた。そのほうが逆に変に思われることもないだろうと。
 確かに下手に演技をするよりかは、そのほうがいいかもしれない。
 ラティアリスは自分の気持ちがとても落ち着いていることを感じた。
「お月見ですか?」
 どこかで聞いたことのある声が頭上から降ってきて、ラティアリスは慌てて見上げた。そこには昼に出会った青年が、昼と同じように木の枝に腰掛けていた。眼鏡越しにブルーサファイアの瞳が美しく輝いている。
「ああ、そこから動かないでください。飛び降りますので」
 また思わず見とれてしまい、ラティアリスが声を出せずにいると、アサギは返事を待たずに軽快に飛び降りる。軽い音をたてて見事に着地した。
「…また、いらっしゃったのですか」
「ええ、あなたは私のことを誰にも話さなかったようですね」
 悪戯っ子のように笑うアサギは、まるでオーリオのような朗らかさがあった。兄と重なって、思わずラティアリスは笑みをこぼす。
「いってしまえば大変なことになるでしょう? あなたも私も、問題は起こしたくないはずですから」
「それもそうですね」
 他国へ嫁ぐ王女と密会などと、大問題もいいところだ。例え当人たちの間にそのような事実はなくとも、周りは誤解するだろう。
「ですから、早く城へお戻りください」
「それにしても、お加減はよろしいようですね」
 アサギはラティアリスの言葉を遮るように言う。まだ帰らないと言いたげに。
「え、ええ…大分良くなりました」
 宴に欠席したことを言われたと気づき、ラティアリスは慌てて頷いた。といってもアサギはそれに気づいていたようだ。けれども彼はそれについて言及してこなかった。
「最後の夜だというのに、また誰もいないのですね。てっきり、兄君と一緒かと思ったのですが…」
「兄上はいろいろと忙しいのでしょう。我が侭は言えません」
 サクスアイールのことを言われ、ラティアリスは苦笑いした。本当のところ、後宮の奥深くで本物のアルマリアと仲良くしているのだろうと思う。あの二人はまるで恋人同士だ。城の者たちはそう噂している。
「…あの方が本当に政務をこなしているとは思えませんが?」
 アサギの声音が低くなる。昼に聞いたあの声と同じだ。また、ひどく寒気を感じさせる。
 アサギはサクスアイールを責めているのだろう。それと同時に、アルマリアも責めている。彼は見て来たのだ。この国の現状を。なぜかそう、はっきりとわかった。
 ラティアリスは責められることに耐えられなくて、ブルーサファイアの瞳から逃れるように目を逸らした。自分のことではない。だが、今は自分のことだ。自分はアルマリアである。この国を、民を苦しめる王女だ。
「あなたは、この国を、民の様子を知っていますか?」
 アサギの言葉が胸に刺さる。知っている。見たことはなかったが、城の外のことはいろいろと耳に入ってきていた。オーリオもその様子を憂い、何度か兄王に進言しているが聞き届けてもらえないと、嘆き、愚痴や暴言を吐いていた。
「知って、います」
「ならばなぜ、民の血税を欲に使うのです。税は国を潤すものであって、あなたの私財ではない」
「おっしゃる、通りです」
 アサギの口調がきつくなる。そのたびにラティアリスの胸に刺さるものがあった。美しいブルーサファイアの瞳は自分を射るように睨みつけていることだろう。それが何故か悲しくて、辛くて堪らなかった。 
 けれども嘆いてばかりではいられない。自分はアルマリアとして生きるのだ。
「そのことに関しては、とても反省しております」
「反省だけでは足りない」
「ええ、当然です」
「民に申し訳ないと思う心があるなら、なぜ兄王に進言なさらないのです? あなたは陛下に愛されているはずだ」
「…兄は私の言葉を聞きはしないでしょう。兄は、そういう人なのです」
 俯いてそう言うと、アサギはそれ以上何も言ってこなかった。
 しばらくの間、静かな時が流れる。ただ一陣の風が吹き、髪を揺らした。
 居心地が悪いようで、そうでないような、奇妙な感覚にとらわれる。ブルーサファイアの瞳をもった青年には、何か惹きつけられるものがあった。それがどうしてかはわからない。ただ、彼に嫌われたくはないという思いがあった。だが、彼は自分を軽蔑している。当然だろう。使者の一団の一人ということは、それなりに政務に携わる人物だ。そのような人物にとって、他国とは言え国を陥れた王女を許せるはずもないのだろう。
「弟君は、どうなのです?」
「え?」
 予期せぬ問いに、ラティアリスは顔をあげた。そこには、月を背に立っているアサギがいる。黒い髪は月光に染まり、ブルーサファイアの瞳が悲しく輝いていた。
「オーリオ殿下です。彼は、サクスアイール陛下より有能だと聞いています。殿下に陛下を何とかするように進言したりはしないのですか?」
 どうしてそこでオーリオが出てくるのだろうか。確かにオーリオには軽薄なところがあるが、有能だ。だからこそ王位継承の際、彼を推薦する声もあった。だが、アルマリアとオーリオが敵対関係にあることは、他国でもよく知られている話だろうに。
「残念ながら、私とオーリオは仲が良くありません。当然、お兄様とも…。ですから」
 ラティアリスとオーリオは仲がいい。けれどもアルマリアとオーリオは違う。アサギの問いに、戸惑いながらもはっきりと答えた。すると、アサギの眉間にしわが寄る。
「だったらなぜ…」
「アサギ様?」
 眼鏡越しのブルーサファイアの瞳が、ラティアリスを責める。だが、それは先ほどとは違った瞳だ。国のことで責めているわけではない。アルマリアを責めているというよりは、ラティアリスを見ているような感覚にとらわれた。
 どうしてそんな瞳をするのか分からず、ラティアリスは戸惑った。今の彼は、アルマリアを見ていない。
 深海の瞳と海の瞳が重なり合う。
「いえ、なんでもありません。つまらないことを言いました」
「あ、いえ…かまいません」
 先に目を逸らしたのはアサギだった。まるでこれ以上ラティアリスを見続けるのを拒むように。
「なんでこうなる…」
「え?」
 アサギは悔しそうに何やら呟いたようだったが、ラティアリスは聞き取れなかった。そして聞き返そうとするラティアリスから逃げるように、飛び降りた木に足をかけた。
「夜分遅くに失礼いたしました。できるなら、このことはまた内密にしていただきたい。私も上司に怒られるのは困りますので」
「あ、はあ…構いませんが」
 頷くと、アサギはまた軽快に木に登った。相変わらず身軽だ。枝に登りあがると、ラティアリスに振り向いた。
「明日からは、姫にはなれない旅が続くでしょう。辛いと思いますが、私たちもなるべく姫に快適な旅を提供するために心を砕くつもりです」
「ええ、お気遣いありがとうございます。明日から、よろしくお願いいたします」
 アサギの言葉に、ラティアリスは素直に喜んだ。彼には色々わからないことはあるが、たとえ国を傾けた王女であっても、礼を失することはしないらしい。
「おやすみなさい、アサギ様」
 それが嬉しくて、ラティアリスは微笑む。
 するとアサギは目を丸くして、そしてため息をついた。
「参ったな」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。姫もよい夢を」
 そう言ってアサギは昼のように、軽快に塀の向こうへ消えていった。


***


 王女と別れたアサギは、胸の中に不快感と、それとは正反対の幸福感が宿っているのがわかった。
 どうしてこうなるのか。自分は王女を見極めようと彼女に会いに行ったのに、結局さらにわけがわからなくなった。直接聞き出せるとは思わなかったが、オーリオとの関係もきけず仕舞いだ。いや、それは自分が聞くことを拒んだ。
 アサギは警備の死角をついて、さっさと宴の席に戻った。何食わぬ顔で戻ってきたが、すぐにイグレシオに睨まれた。
「あれ? 時間切れ?」
「あなたが出てってすぐにバレたぞ」
 女将軍の言葉に、アサギは頭をかいた。彼は自分から目をそらすことはしないらしい。まあ、言いつけられているからだろうが、困ったことだ。いや、言いつけられなくても、自分から目をそらすことは極力避けているだろう。彼はそう言う立場の人間だ。
「どこに行ってたんです?」
「散歩」
 怒気を含んだ声音に、アサギはあっけらかんと答えた。するとすでに立っていた青筋が太くなるのが見て取れた。
「それは昼にも聞きましたっ。あなたはご自分の立場をなんだと…」
「おっと、ご婦人に呼ばれているようだ」
 宴の席だからか、昼のように声を荒げることはしなかったが、また小言を食らうことを悟ったアサギは、さっさとその場から逃れようと、視線を送ってくる貴婦人の元へ急いだ。
「あ、ちょっとっ」
「まあ、今に始まったことでもないだろう」
「あなた方は、私の胃をどこまで傷めつければ気が済むんですか…」
「む、それは私も含まれているのか?」
 心外だというセシリアに、イグレシオはきっと睨みつける。
「昼間言いつけを破って外出したのはどこの誰ですっ」
「私だ」
 きっぱりはっきり言う同僚に、イグレシオは胃を抑えて肩を落とした。


***


「なんだ、まだ寝てなかったのか」
 宴も終わり、宛がわれた客室のベッドで横になっていたアサギの元に、寝間着姿のセシリアがやってきた。その姿に、寝間着とは言い難くともラフな格好で、眼鏡を外したアサギは眉をひそめる。
「お前、ここはサイアルズじゃないんだぞ」
「そう言うな。どうせだれも見ちゃいない」
セシリアは当然のようにアサギの隣で横になった。
「ここで寝るつもりか」
「いや、そのつもりはない。一緒に寝るなら、アルマリア王女のような可愛い娘がいい」
 あまりにきっぱり言うので、この女将軍にはそのような気があるのではとたまに心配になる。まあ、彼女の人生は彼女のものだ。あまり口出しするのも悪い気がする。
 まじめに考えていると、セシリアは「アルマリア王女と言えば」と話切り出した。
「昼や宴の時、会いに行ったのだろう? どうだった?」
「…よくわかったな」
「当然だ。あなたとどれほどの付き合いだと思っている」
 呆れながら言うセシリアの言葉に、アサギは苦笑いした。確かにその通りだ。
「お前、今年でいくつになった?」
「女性に年を聞くな…確かもう26だ。早いもんだな」
「結婚は、しないのか?」
「それはあなたが先だよ」
 セシリアは楽しそうに笑う。彼女はまだまだ結婚を考えていないようだ。もういい年だというのに。
「それで、王女はどうだった? やはり噂通りか?」
 興味津々で聞いてくるセシリアに、アサギは苦笑いした。美しい王女が余程気になるのだろう。彼女は年齢の割に、子供っぽいところがある。
「噂とは、全然違うな。正反対だ」
「やはりそうか。あの外見で、噂通りだったら、どんな悪女より悪女だぞ」
「面白いことを言うな。だが、わからなくなった…」
「と、いうと?」
「王女はいったいどれが本当なのか…」
 国を傾けた王女。国を憂う王女。
 兄に脅える王女。弟を恋う王女。
 そして、そんな王女に惑わされる自分。
「わけがわからない」
「ということはあれだな。考えたくない可能性が出てきたということだ」
 セシリアは軽く言うが、それは大問題な話だった。
「今は考えたくない」
「問題を先送りにすると、困ったことになるぞ」
「わかっている」
 確かにその通りだが、その可能性を考えたくない自分がいた。どうしてか、国同士でまた争うことになるからか、それとも彼女がサイアルズへ嫁ぐことがなくなるからか。
 後者の考えを追い出すように、アサギはセシリアに背を向けた。
「拗ねるなよ」
「拗ねてない」
 アサギはセシリアに振り返ることなく、半ばやけになって言った。背後からため息をつく声が聞こえ、ごそごそと布団の中に入る気配を感じ、慌てて振り返る。
「おい、ここで寝るなよ」
「心配するな。子供の頃より寝相は改善されている」
 そういう問題じゃない。
 アサギは吠えるが、セシリアは完全に寝る態勢に入った。



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