第一章

(2)


「ラティアリス!どういうつもりだ!あんな自分勝手なことを聞くことはない!」
 オーリオの自室で、彼はラティアリスに詰め寄った。その顔に普段の余裕のある色はない。ただ、怒りに震えていた。
 そんな彼に、ラティアリスは苦笑いしながら首を振る。
「もし、私が断ったところで、また誰かが身代わりにさせられるでしょう…。それに、もともと私には断る力がありません…」
「俺がいる。俺はお前の後見人だぞ」
「はい、それは大変ありがたく思っております。父上が亡くなられ、後ろ盾を失った私を、オーリオ様が助けてくださった…」
 先王は大変な子煩悩だった。そのため、たとえラティアリスが庶民の子であろうとも、王女という地位を与え、母も亡くなり、後ろ盾のない彼女を支えていた。だが、先王が亡くなったとき後ろ盾を失った彼女を救ったのは異母兄であるオーリオだった。そのことを、ラティアリスは深く感謝している。
「ですが、これ以上お立場を悪くされれば、オーリオ様がどうなるか…」
 王宮ではラティアリスの立場は微妙だった。庶民の母を持つ彼女は、他の兄弟たちに疎まれ、また有力貴族たちからも煙たがられていた。その貴族たちの中には、オーリオを推す者たちもいるため、ラティアリスを庇うオーリオをあまり快く思っていない。
 自分がいなくなれば、オーリオの立場も良くなるはずだ。
「それは大丈夫だ。そんな連中、むしろこちらから願い下げだといってもいい。それに、ラティ。これはただの我儘で済ませていい問題でもないんだぞ」
 それはもっともだった。これは、我がままで決めていい話ではない。ばれればどうなるか…。ラティアリス自身に人質の価値があれば別だが、あいにくとラティアリスは兄王に無碍に扱われている。
 だまされたとなれば、当然サイアルズは怒るだろう。それこそ、その武勇を持ってオルアンナを滅するかもしれない。
「そのとおりです。ですが、きっとアルマリアさまはサイアルズへ向かわれはしないでしょう…。それに、レグシア王は大変良識のある方だと噂されております。それに期待するしかありません」
 微笑むラティアリスに、オーリオは何も言えなくなった。
 いっそこの話をサイアルズ側へ伝え、無理やりにでもアルマリアを嫁がせる手もあるだろう。だが、下手をすれば血を見ることになるかもしれない。無用な争いは避けたい。だが、これがばれれば?
 さらに血を見るだけではないのだろうか。
「今日という今日ほど、王にならなかった自分が悔しいよ」
「オーリオ様…」
 溜息をつくオーリオに、ラティアリスは微笑んだ。
「オーリオ様が王になろうとなさらなかったのは、下手に内紛を招きたくなかったからでしょう? それでよかったのだと思います。王位争いは、無関係なものたちも、巻き込んでしまいますから…」
 オーリオが王位を望まなかったのは、ラティアリスの言うとおりだった。王位争いは、歴史を見ても血が流れなかったときはない。それどころか、市民すら巻き込んで戦争になったことだってある。
 たとえ脳なしの兄でも、国を動かすことぐらいはできるだろうと思っていた自分が甘かった。結果がこの国の現状だ。
 戦争を承知で、争うべきだったかもしれないと今では思っている。兄に対する自分の態度は、ちょっとした八つ当たりだった。
「大丈夫です、オーリオ様」
 微笑むラティアリスに、オーリオは何も言えなくなって彼女を抱きしめた。
 何もしてやれない、なんて不甲斐ない兄なのだろう。
 きっと自分は臆病なのだ。争いを見たくないからと、妹を守れない自分は、愚かで卑しい。
「すまない」
「もったいないお言葉です」
 オーリオの背中に手をまわし、彼の胸に顔を埋めた。自分を愛してくれる家族がいる。それだけで、自分には十分なのだ。
 するとそんなふたりの仲を裂くように、扉が勢い良く開かれた。
「ラティ!?大丈夫だった?!」
「「?!」」
 そこに現れたのは、14、5歳の愛らしいふわふわした綿菓子のような金髪にまんまるの黒い瞳の少女だった。その後ろには侍女が続いていた。
「まあ、マリアンナ様」
「ラティ!? ってぇオーリオにい様!!なに私に断りもなくラティに抱きついてるの?!」
「えー別にラティはマリーのものじゃないしぃ、俺がラティに抱きつくのになんでマリーの許可がいるのさ」
「ちょ、オーリオ様…!」
「キー!!離れなさいよぉ!!」
 マリアンナに見せつけるようにオーリオはさらに強くラティアリスを抱きしめた。挑発に乗ってしまったマリアンナは顔を真っ赤にさせて怒るが、オーリオは涼しい顔だ。
「オーリオ様…ギブ…!」
「え? ああ、すまないね。マリーってからかうと予想通りの反応示してくれるからうれしくって」
 窒息しそうになったが、なんとか解放してもらえたラティアリスは、大きく息をした。マリアンナは心配そうに彼女をのぞきこむ。
「大丈夫? ラティ、お兄様にセクハラされたらどついていいのよ?」
「マリー、そんな言葉どこで覚えてきたの」
 妹の言葉に、オーリオは怪訝そうな顔をするが、ラティアリスが慌てて間に入った。
「だ、大丈夫ですよ、マリアンナ様」
「本当に? もうラティは優しすぎるわ。もっと心を狭くしてもいいと思うの」
「えーっと…」
「ラティ、いちいちマリーに真剣に返さなくていいから」
 マリアンナは、オーリオの同母妹で、ラティアリスの異母妹にあたる。彼女はオーリオ同様ラティアリスを大切な姉として慕っており、むしろ実兄であるオーリオとラティアリスの取り合いをするほどだった。
「そういえば、ラティ、大丈夫だった? サクスアイールとアルマリアに呼び出されたって聞いたけど」
「マリアンナ様…一応、兄上で国王陛下なのですから…」
「いや、あんな奴に敬称なんていらないぞ」
「オーリオ様まで…」
 一生懸命異母妹を諌める彼女に、異母兄が無情に言い捨てる。この兄妹は、究極的に兄王とその妹を嫌っているのだ。
「でも、本当に大丈夫でしたか?ラティアリス様…」
「ルナさん…大丈夫ですよ、ちょっとした所用を言いつかりまして…」
 マリアンナの侍女が、心配そうな顔をするが、ラティアリスは笑顔で応じた。オーリオはそんな彼女が痛々しくて仕方がなかった。
「本当? あいつら、いっつもラティに変な因縁つけてさ!もう大っ嫌いだわ、あんなやつら!」
「姫様、もうちょっと言葉づかいを選んでくださいませ」
「なによ、ルナはあんな勝手な奴ら許せるっていうの?」
「えーっと…」
「マリー、ルナをいじめるな。俺たちと違って滅多なことを言えなんだから」
 戸惑う侍女に助け船を出すオーリオだったが、妹の言葉には賛同だった。
 あんなものたちに王位を許した自分が、心底情けない。
「ラティアリス様、ゲーテが心配しておりました。お部屋にお戻りいただけると、彼女も安心いたしますわ」
「ええ、そうですね」
 自分のたった一人の侍女を思い出して、ラティアリスは微笑んだ。サイアルズに行くときは、彼女を置いていくことになるだろう。間者のような存在になるものは、あちらは拒否をするはずだ。そう思うと、少しさびしくなる。
「では、私はこれで失礼いたします。オーリオ様、マリアンナ様…」
「いや、俺も行こう」
「私も行くのー!!」
「……」
「モテモテですねえ、ラティアリス様」
ルナの少し呆れた声が、耳に届いた。


***


「ただいま、ゲーテ」
「ラティアリス様!ご無事でっ!」
 あてがわれた自室に戻ると、侍女のゲーテが泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「…まるで殺されそうになったみたいな言い方ね」
「まあ、あながち間違っちゃいないだろう」
「え?」
 感動の再会を果たしている主と侍従の横で、マリアンナは呆れたように言うが、オーリオはその言葉通りだと思った。
 彼女は、死ににいけと言われたようなものだ。
 サイアルズに嫁いで、一生隠し通し続けるかなんてできるかどうかも分からない。
 ばれる前に、何とか手を打たねばならなかった。それが、兄として見送るしかできない自分に唯一してやれることだ。
 マリアンナは不思議そうな顔で見上げてくるが、オーリオはただ微笑む。
「もう、大袈裟ね、ゲーテは…」
「だって、だってラティ様にもしものことがあったら私…!」
 ゲーテはラティアリスより一つ年下の少女だ。
 チリチリした赤髪は決してきれいとは言えないし、顔に浮かんだそばかすのおかげでかわいい容姿でもない。
 それでもゲーテは自分の仕事をしっかりこなす、大変働き者で、ときには相談に乗ってくれるよき侍女であり、よき友人だ。
「大丈夫よ、この通りちゃんと帰ってきたんだし」
 そう言い聞かすと、ゲーテは鼻をすすって頷いた。まったくもって心配性だ。
「さてと、ゲーテ、お茶を用意してくれるかい。それとルナ、ここにカリルローラ姉上を呼んできてくれ。急用だとね」
「はい、かしこまりました」
「オーリオ様!」
「口外禁止。けど、これは親しいものにはすぐにばれる嘘だ。話しておいたほうが得になることもあるよ」
 オーリオの意図を悟ったラティアリスが声をあげるが、オーリオは涼しい顔だ。まるで細めた眼の先に、何かが見えているような、そんな雰囲気をまとっている。
「ねえ?何の話?」
 自分の侍女を見送りながら、話が読めないマリアンナが首をかしげた。


***


「私を呼び出して、何の御用かしら? オーリオ」
「やあ、カリルローラ姉上、ご機嫌麗しゅう」
 十分ほどたって現われたのは、質素ながらも上等なドレスを身にまとった麗人だった。巻かれた金の髪は腰まで流れ、扇で口元を隠していても、その力強い翡翠の瞳が美しさを際立たせている。
 差し出された姉の手の甲に口づけ、オーリオは微笑む。
 カリルローラはラティアリスは勿論、オーリオやマリアンナとも母は違うが、オーリオ側に属する貴族の娘で三人の異母姉だ。
 カリルローラもまたほかの兄弟と違って、ラティアリスに姉として接している。
「ようこそ、お越しくださいました、カリルローラ様」
「まあ、ラティアリス。相変わらず可愛いこと…。行き先があなたの部屋だと聞いてやってきたの。別にオーリオに呼び出されたからじゃないのよ」
「相変わらずきついですねー、姉上」
「お黙りオーリオ。私はお前のようなへらへら笑う男は大嫌いだと、常々言っているでしょう」
 ぴしゃりと言い放たれた言葉はきついものだったが、言われた当人は全く気にしていない。それどころか、楽しそうに笑うだけだ。
「ああ、それとね、ラティ。私のことは、お姉さまって呼んでって言ってるでしょう。なんならカリルちゃんでもいいのよ?」
「え、えーっと…」
 オーリオを無視して、カリルローラはがしっとラティアリスの手を握る。押しの強いカリルローラに、ラティアリスはいつも戸惑ってばかりだ。おとなしい彼女は、この手のタイプは苦手だった。だが、決して嫌いではない。むしろ好きだと言っていい、しかし、どう対応すればいいのか分からない。
「姉上、ラティが困っていますよ」
「だからだまれよ」
「お姉さまーラティが困ってますってー」
「マリアンナがいうなら仕方ないわね」
「おーい」
 妹には甘いが、自分には冷たい姉には慣れているが、思わず突っ込みを入れた。まあ、いつものことだ。
 ラティアリスはなんとか解放され、用意されたテーブルに着く。オーリオはカリルローラを連れてきたルナや、カリルローラとともにやってきた数人の侍女たちに振り返った。
「ルナやほかの者たちも、席をはずしてくれるかい? あと、人払いを…ああ、ゲーテは残っておくれ」
「…なにを話そうというの? オーリオ」
 人払いを命じた弟に、カリルローラは訝しげな視線を送るが、オーリオは静かに侍女たちの退出をまった。
 ラティアリスは、ただ、なんともいえない、沈痛な面持ちを浮かべていた。


***


「なんですって?! そんなバカなことを…!?」
 ことの有様を聞いたカリルローラは顔を真っ赤にして立ち上がった。テーブルに置かれたカップがガシャンと音を立てる。
「残念ながら事実です。ラティアリスも、それに納得した」
「そしてお前もそれをのうのうと眺めていたわけね」
「返す言葉もありません」
 姉から吐き捨てられて皮肉と射るような鋭い瞳に、オーリオは動じることなく用意された紅茶を口に含んだ。
「貴様っ!」
「カリルローラ様っ! オーリオ様も反対してくださいました。ですが、これは私が決めたことなのです。ですから、どうかっ」
 ラティアリスは必死にカリルローラをなだめたが、憎々しげに舌打ちをして腰を元に戻した。
「でも、そんなことって…」
 そう呟いたのはマリアンナだ。彼女は顔を真っ青にさせて、今にも泣きそうである。ゲーテも同じだった。
 そんな二人を見て、ラティアリスは申し訳ないと思ったが、こぼれたのは笑みだった。
「仕方ありません。私はある程度容姿は似ているのです。選ばれて当然でしょう」
 ラティアリスとアルマリアは、顔は似ていないが、特徴はよく似ていた。腰まで伸びた真っすぐで綺麗な銀色の髪。透き通るような藍色の瞳…。そして誰もが見惚れるその美貌。
 銀の髪や瞳は父から受け継がれたものだ。先王も容姿に優れていたが、二人の姉妹の美しさは、各母から受け継がれたもので、タイプが違う。
 アルマリアの美しさは、妖しく、艶やかな色のある美しさがあり、男たちを虜にするもの。
 対してラティアリスは、ただそこに佇んで咲き誇る花のような暖かな美しさを持っていた。
 アルマリアはその美しさから多くの縁談が寄せられているが、妹を溺愛する兄王がそれを退けており、ラティアリスは身分の低さから、そのような浮ついた話はなかった。
 といっても、アルマリアは自国のみならず、他国でも有名だが、ラティアリスはあるようでないような存在だ。自国でもそんな姫がいることすら知らない国民だっているだろう。
「だからって…」
「いい機会です。だって、結婚などできるはずもないと思っていたので…」
 生まれの低さから、結婚は諦めていた。できることなら家庭を持って、子供を産みたいとは願ってはいたが。
「ラティ…」
 カリルローラは悲しい瞳でラティアリスを見つめた。まるで自分が傷ついているかのような、そんな瞳。
 けれどもラティアリスはただ微笑み続けた。その、想ってくれる心がうれしいから。
「例え断ることができたとしても、また誰か別の方がアルマリア様に仕立て上げられてしまうでしょう。でしたら、私が代わりとなって嫁いだほうが、丸く収まるのではないでしょうか?」
「けれど、ばれた時はどうするの? 一生隠し続けられるとは、どうしても思えない」
「ならば、自らの命を持ってそれを償います」
 姉のもっともな言葉にもラティアリスは笑顔で答えた。
「いやよ!そんなの!私嫌だからね!!」
「マリアンナ様…」
「そんなのひどいわ…だってこんなのあいつらの我儘じゃないっ!なのに…!」
「だが、ここで断れば争いになる可能性もある」
「!? オーリオ」
「わかりませんか?姉上。ラティアリスは、第二王子である俺側の人間だ。兄上側と俺側は、今だににらみ合っている…そして互いの派閥の力は均衡してもいる。双方機嫌を損ねると、まずいことになるんですよ」
「…確かにね。お互いがお互いを牽制し合っているからこそ、今なんとか問題も起きずに済んでいるわ…」
 カリルローラは深くため息をついた。兄王がこれほど脳なしでなければ、今のような状態も起きなかっただろうに。そう思うと、溜息の一つや二つ、つきたくもなるものだ。
「でも…」
「大丈夫だよ、マリー。けれども今は問題を起こしたくもないんだ。だから、ラティアリスには悪いが、サイアルズに嫁いでもらいたい」
「もとより、そのつもりです」
「ありがとう…俺もそろそろ動こうかと思う。この状況を打破するために」
 ラティアリスは笑顔で答えたが、オーリオはラティアリスを見なかった。
 けれどもその黒い瞳には、何か意思が宿っているのを読み取ることができた。
「それには、あなたにも協力してもらいますよ、姉上」
「はん、やっとやる気をみせたようね」
 カリルローラは扇で口元を覆う。だが、その翡翠の瞳は妖しく輝いていた。



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