第一章

(1)

 
 レーイシス大陸には大小様々な国がある。文化に栄えたオルアンナもその一つだ。
 しかし今、絵画、工芸品、音楽…様々な芸術に富んだはずのオルアンナは、危機に瀕していた。
 先王が死んだのは三年前、そして現王は先王の長男であるサクスアイール二世である。長子であり、有力貴族である王妃の子供でもあった彼は、ある一部の貴族の反対をその権力で抑えて王位に就いた。
 そして彼が王位に就いて以来、国は傾き始めていた。
 彼には王たる資質がなかった。優秀な人材を見る目も、善政を行う能力もなかった。
 国のために集められる税金を私欲のために使っていた。毎晩晩餐会は開かれ、賭博に打ち込み、欲しいものを手に入れ、ただひたすら欲望のために使っていったのだ。
 それを助長するのは周りの貴族たちと妹王女であるアルマリアだ。
 彼を取り囲む貴族は、どれもこれも有力貴族ばかりで、その上己の出世、己の欲を満たすことしか考えない者たちだった。それに拍車をかけるのがサクスアールの同母妹であるアルマリア第一王女だ。彼女も有力貴族同様、兄の権力で私腹を肥やしていた。
 アルマリアは、母や兄のサクスアイールに甘やかされて育ったため、我儘放題な少女であった。
 おかげで市井での貧富の差は激しくなる一方で、餓死者まで出ているという。
 そんな彼の国にある変異が起きた。
 近隣のサイアルズ王国が彼の国に攻め入ったのだ。サイアルズの軍勢は、腹を減らして疲弊した、もしくは欲に肥やされた臆病者の兵士たちを次々と打ち負かし、国境付近はサイアルズによって占領された。
 これに驚いたサクスアイールは、まともに戦おうとはせず、すぐに降伏した。サイアルズは降伏の意を示したオルアンナにこれ以上は攻め入らず、いくつかの要求を出してきた。
そして、オルアンナの第4王女ラティアリスは、サクスアイール兄王に呼び出された。


§


「今、なんとおっしゃいました…?」
 兄王から告げられた言葉は、ラティアリスにとって理解しがいたいものだった。
 ラティアリスの隣に立つ彼女の異母兄で第2王子のオーリオも同様のようで、眉間にしわを寄せている。
 対する兄王は面倒臭そうに、執務室の椅子にふんぞり返っていた。まともに使われない執務室は、綺麗に片づけられており、インクの匂いすらしない。
 彼に寄り添うように立っているのはマリアンナだ。父親譲りの銀の髪と、母親譲りの美貌は妖艶で、男たちを容易に虜にする。
「余のいったことが理解できんとは、やはり卑しいものの生まれだということだな」
「……っ」
 兄王の言葉に、ラティアリスは下唇を噛んだ。
 ラティアリスの母と、サクスアイールの母は違う。ラティアリスの母は、市井の生まれだった。王妃の侍女であった母は王に見初められ、側妾となったのだ。
 位の高い王子や王女は、ラティアリスを煙たがる。庶民の生まれだというのに、王女の位を授かった卑しい娘として。
「兄上、今はそういう話をしているのではありません」
 下劣な目を向けてくる兄王に、ラティアリスを守るように言葉を発したのはオーリオだ。オーリオもまた、サクスアイールたちとは違うが、位の高い貴族の出である母を持っていた。
 だがオーリオは、市井出身の母を持つラティアリスに冷たく当たることはなく、むしろ兄として優しく接してくれていた。兄弟の多いラティアリスを、兄弟として接してくれる数少ない人物だ。
「なんだ、オーリオ。貴様も余の言葉が理解できんのか」
 少しあごを持ち上げて皮肉を放つサクスアイールは、異母弟であるオーリオを敵視していた。
 サクスアイールは、透き通るような銀の髪とそれなりの美貌を持っていたが、いいところといえばそれくらいで、あまり頭も性格も良くはなく、運動もまともにできたためしはない。
 だが対する弟は母親譲りの黒い髪と、精悍で整った顔立ちを持ち、また幅広い学問に通じ、剣術や馬術にも優れていた。唯一の欠点といえば、人を弄ぶような言動があることだろうか。嫌味を言ってくる兄に、受け流しつつも喧嘩を吹っ掛けることがよくあるのだ。
 ともかく、そんなわけで二人の王子は比べられることが多く、即位のときにはオーリオを推す声もあったほどだ。
「いえ、言葉はわかりますが、あなたがわかりません。そのようなことを言うあなたがね」
「なに?」
 皮肉に皮肉を返されて、サクスアイールの片眉が釣り上った。彼の隣に立つアルマリアも同様だ。
 オーリオは微笑んでいたが、その口元は歪んでいた。明らかバカにしているのだ。そんな兄をいさめようと、ラティアリスは彼の袖をにぎった。
「オーリオ様…」
「ああ、大丈夫だよ、ラティ。ただちょっと頭に来てしまってね」
 妹に向けた彼の笑顔は打って変わって優しいものだった。オーリオの態度はあからさまなのだ。
「まあ、よい。しかしそもそもオーリオ、余が呼んだのはラティアリスだけで、貴様を呼んだ覚えはないのだが?」
 咳払いをしたものの怒りは消えていないのか、青筋を浮かべるサクスアイールが言った。そんな彼に、オーリオはにっこり微笑む。
「だってあなたたちは、ラティをいじめるでしょ?僕としてはかわいい妹がいじめられるのをわかっていて送り出すほど、人はよくありませんから」
「よくいう…人に散々嫌味を言っておいて」
「その言葉そっくりそのままお返しします」
「オ、オーリオ様…話がずれております…」
 喧嘩を始めた兄たちに、ラティアリスは青い顔をしながら話の修正を促す。これは流していい話ではないはずだ。
「ああ、そうだったそうだった。ついつい、兄上に嫌味を言うことに夢中になってしまった。では、ラティアリスのいうように話を戻しましょうか」
 オーリオはすっと目を細める。その黒い瞳は、妖艶だが畏怖さえ感じられた。 サクスアイールはこの目が嫌いだった。すべてを見透かしているようで、すべてを侮蔑しているようなこの瞳が。
 オーリオはサクスアイールの返事を待たずに話を続ける。
「ラティアリスを、アルマリア姉君の代わりにサイアルズへ送るとはどういうことでしょうか?」
オーリオの口元が歪む。微笑んではいるが、怒っている。人を侮蔑しつつ、怒る彼はその容姿も相まって恐ろしかった。
 サクスアイールの背筋に嫌な汗が伝うが、真っ向から立ち向かったのは隣立つ妹王女だった。
「言葉のままよ、オーリオ。ラティアリスには、私の代わりにサイアルズに行ってもらうわ。『私』としてね」
「ほお?」
 胸を張り、さも当然とばかりにいう姉に、オーリオは面白そうに口元を歪めた。それにサクスアイールは割って入る。
「…先日、オルアンナにサイアルズが攻めてきた」
「そしてまともに戦わずに、あなたは降伏したわけだ」
「…っ!貴様、いい加減にしないと、不敬罪でその首を落とすぞ!!」
「できるものならやってみてください。まあ、そうなったらどうなるかくらい、さすがのあなたでもわかっているでしょうけど?」
 オーリオの切り返しに、サクスアイールは顔を真っ赤にさせて押し黙った。
 オーリオの後ろ盾もまた、サクスアイールに負けず劣らずの有力貴族が付いていたのだ。数は断然彼に劣るものの、その一つ一つが有力層である。オーリオが兄王に対して大きな顔をしているのもそれがあるためだが、まあ、実のところ、彼自身の性格が一番の理由だ…。
 即位の際、オーリオの周りの貴族たちは彼を王にと推薦した。しかしオーリオ自身がそれを拒否したためさした争いごとも起きずに済んだのだ。
「まあ、やりあったところで負けは見えていますから、別にいいんですけどね」
 しれっとするオーリオに、サクスアイールはものすごい形相でにらみつけたが、当人は素知らぬ顔だ。
 確かにサイアルズとまともにやりあえば、衰退しつつあるオルアンナなどひとたまりもなかっただろう。なにせサイアルズは武に優れた国で有名だった。
 戦争でサイアルズが黒星をつけられたのは数えるほどで、ほとんどが白星だ。特に現王レグシアが王位について以来は負けなしである。
「それでサイアルズはいくつか要求してきたわ」
 兄と違ってアルマリアは平然としていた。アルマリアはプライドの高い女性だが、同時に賢い頭をもっていた。このやり取りが意味のないということ、またオーリオの人を食ったような性格であることも理解している。
「ひとつは、不可侵条約を結ぶこと。サイアルズは隣国のダーコスと仲が悪いから、ダーコスに近いオルアンナと手を結ばれることを嫌ったのでしょうね。それと貿易。私たちの国の品はどの国にも恥じないほどの美しさだわ、まあこれも当然でしょうね。他にもいくつかあるけど、重要なのはあとひとつ、先王の第一王女であり、現王の同母妹である王女、つまり私の献上。要は、人質よ」
 アルマリアの言葉に、ラティアリスもオーリオも押し黙った。
 サイアルズとオルアンナ、優先順位は国力から見て明らかだ。人質を差し出すのもまた当然なのである。
「それで、どうして私がアルマリアさまとして、サイアルズへ?」
このような質問をしておいてなんだが、ラティアリスはその理由が分かっていた。だが、聞かずにはいられなかった。何か別の意味があってほしいことを願って。
「あら、当然よ。私、サイアルズになんて行きたくないもの。武の国なんて、野蛮すぎるわ」
「――――っ」
 予想した返答に、ラティアリスは悔しくなった。どうして、国同士の大切な決めごとに、私情を挟むのか。ひいては国の存亡の危機だというのに。
「お言葉ですが、姉上。あなたはご自身が何を言ってるか御承知でしょうか?」
「と、言うと何かしら、オーリオ」
 オーリオはまじめな顔で一歩踏み出した。だが、アルマリアは面白そうに微笑むだけだ。
「オルアンナはサイアルズに負けました。戦っても負けは見えていた。これ以上犠牲が出ないためにも、降伏は当然のことだったでしょう。ですが、この問題はそれだけでは済まされない。それはあなたにも、兄上にも分かっているはずだ。オルアンナとサイアルズの立場は明らか、嘘をつけばどんな報復がまっているかわかりません。向こうは第一王女、つまりアルマリア姉上、あなたを要求してきたのですよ」
 真剣な瞳のオーリオと違って、アルマリアは平然としていた。
「何度も言わせないで頂戴。私は行きたくないの。ましてや、王妃ではなく、側室としてだなんて…」
 アルマリアが初めて口元を歪めた。
 彼女は欲におぼれすぎていた。自分の思い通りにならなければ仕方がないのだ。
「そういうわけだ、ラティアリス。余も、大事なアルマリアを手放したくはないのだ。お前とアルマリアの髪と眼の色は同じだ。身代りには充分だろう」
「そういう問題ではありません!」
 ラティアリスは無礼だと分かっていても、声を上げずにはいられなかった。国をなんだと思っているのだ。彼女の心情を分かっているのか、いないのか、サクスアイールはぎろりとラティアリスを睨みつけた。
「余の決めたことに逆らうというのか?」
「!?」
「兄上! もし、ラティを姉上として差出し、ばれた時はどうするおつもりですか?! その責任をあなたはとる覚悟がおありですか?!」
 オーリオもあまりに自分勝手な兄と姉に、声を張り上げた。どこまで愚かな二人に、声を上げずにはいられなかった。
「責任? それをとるのはラティアリス、お前だ。ばれた時はお前の責任、よってとるのもお前だ。精々命乞いをするのだな」
「!?」
 無情な兄王の言葉に、ラティアリスは青ざめた。自分でも血の気が一気に引いたのがわかる。
「なんだ、不服か?庶民の出でありながら、ありがたくも他国とは言え妃として嫁ぐことができるのだ。お前の存在もまあその点では理由があったというわけだな」
「兄上っ!」
「?! オーリオ様!!」
 怒ったオーリオはサクスアイールに掴みかかろうとしたが、ラティアリスが慌てて止める。
「離せ、ラティ」
「いいえ、オーリオ様…。大丈夫です…お二人がそうおっしゃるなら、私はアルマリアさまとして、サイアルズへ向かいます…」
「ラティ!?」
「そう、じゃあ話は終わりよ、そういうことだから、よろしくねラティアリス。あ、わかってると思うけど、これは口外禁止よ」
 くすくすと笑ってアルマリアとサクスアイールは退出していく。まるで恋人のように寄り添って…。
ラティアリスは青い顔を隠すように頭を下げ、オーリオは敵意をむき出しで彼らを睨みつけ、それを見送った。


 

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