(4)
「・・・ん?」
身体の気だるさと、気持ち悪さで僕は目を覚ました。
頭が痛い。視界はまっくらだった。前は何も見えない。寝起きでこうも気持ち悪かったのは高熱を出したくらいかな・・・。とりあえず、寝転んでいることは分かった。ひんやりとした冷たい床が、僕の頬に当たっていて、身体が横を向いているようだった。
でも、何がどうなっているかわからなくて、僕は重たい身体に鞭を打ち、起き上がろうとした。
「お、起きたか」
耳に知らない声が届く。太く低い声。男の人の声だ。
ふと、自分の身体の自由がきかないことに気がついた。身体がだるいせいではない。
腕は後ろで組まれ、手首にはロープのようなものが巻きつけてある。足も同様に、足首で縛られていた。おかげでうまく起き上がることができない。
その上目の前が真っ暗なのは、目に何かが撒かれているせいだった。
蓑虫みたいに身体をうねうねと動かしてみるけど、効果は出ない。
「無駄だぜ、坊主」
また太く低い声がした。なんだか、頭が悪そうな口調だ。僕は声がしたほうに顔だけ向けてみた。もちろん、その顔が見えるはずはない。
「おとなしくしてろよ、そうしたら悪いようにはしないからな」
「起きたんだったら、早く電話しなよ」
太く低い声に連動するように、今度は甲高い女の人の声がした。言葉遣いは、悪い。
「まあ、落ち着け。焦って行動するもんじゃない。まずは自分の置かれている状況を理解させなきゃならないからな」
また違う声がした。低い声ではあるけれど、落ち着いた男の人の声だった。
その男の人は、僕から離れていたのか、足音が近づいてくる。
「坊主、お前、どうなったか憶えてるか?」
言われて僕は思い返していた。何があった?
いつもどおりの学校の通学路で。
とくちゃんと一緒に帰っていて。
ゲームをしようと誘われたから。
僕は「うん」と答えようとした。
そしたらいきなり引っ張られて。
なんだか急に眠たくなったんだ。
そうだ、これは俗に言う。
「誘拐」
僕は答えた。
「へえ、お前、頭がいいな」
ガキのワリには。
落ち着いた声の男は言う。
悪かったね。どうせ僕はまだ子供ですよ。まあ、昨日のプリントがあったから、簡単に結論に至っただけだけど。
そうしたら、太くて低い声の男が口を開いた。
「なんて読むんだ?まんぜんや・・・ひでよし?」
恐らく僕のランドセルに入っていた名札だ。
一年生のころからのやつがちゃんと入っていれば、読み仮名も振ってあるんだろうけど、ついこの間、僕は何気なしに出したその名札を、うっかり水の中に落としてしまった。紙だったから、いくら油性でもにじんでしまったので、僕はお母さんに頼んで書き直してもらった。
―――もう五年生なんだから、読み仮名はいらないかしら。
お母さんはそういいながら、丁寧な字で書き直してくれた。
ふとお母さんの笑った顔が浮かんだ。
―――助けて、お母さん。
だけど、来るはずなんてない。
それに、僕は子供だけど男だ。こんなことでいじけてどうするんだ!
「違うよ、まちの。まちのしゅうぜんだよ」
僕は顔を上げたまま、太くて低い声の男に言った。頭の悪そうな声だし、第一に人の名前間違ってるし(まあ、下の名前はよく間違えられるけどね)、よし、こいつはカバ夫と呼ぼう。
理由は、カバを反対に読んでくれたら分かると思う。
「馬鹿かあ、あんた。ガキに指摘されてどうすんだよ」
「んなこと言ってお前は読めんのかよ!」
「当たり前じゃないか!」
カバ夫と女の人の怒鳴りあう声がした。この女の人は声が高いから、キィ子と名づけよう。
・・・ネーミングセンスないな。僕。
「落ち着け、ふたりとも。騒がれて隣人が乗り込んできたりしたらどうするんだ」
相変わらず落ち着いた声の主が、呆れながら言う。すると二人は黙った。
三人以外に人がいる気配はない。落ち着いたこのひとが二人をまとめている、リーダーみたいだ。よし、この人はリーダーね。
誘拐というものは、テレビでやっていたみたいに最終的には殺されてしまうんだろうか。
昨日やっていたテレビドラマを思い出す。
幼い娘を人質に取られた父親が主人公で、父親は犯人が要求した額のお金を持って、指定された場所に行ってまんまとお金をとられるんだけど、結局娘は殺されていた。
その父親は復讐を誓って、犯人を追い詰め殺してしまうというなんとも暗い物語だった。
このドラマでいくと、僕は殺される運命であると言うことか。
そんなことを思い出して、身体が身震いした。これじゃダメだ。
「・・・ここはどこなの?」
怖気づいたら相手の思う壺。僕はこみ上げてくる寂しさと恐怖を必死に隠しながら、誰とは問わずに聞いた。
「悪いが答えられないな。言って余計なことをされたらたまらん」
リーダーは言う。
「相手は子供でしょ」
僕は負けない。
なんとかこの場所を理解しようと、挑発的に僕は言った。けれどもリーダーは鼻で笑うだけで、僕の言葉に乗ってこようとしなかった。
「油断大敵って言葉、知ってるか?」
「『注意を怠ると失敗に繋がるから、常に警戒すべきである』」
辞書に載っていた言葉をそのまま反復する。するとリーダーはおかしそうに「本当に子供のクセにお前は頭がいいな」と笑った。この前テストに出るからって勉強してたんだよ。案の定、出てくれたけど。
「ま、意味を知っているなら、その意味をそっくりそのまま返すぜ。ようは子供だからって気を緩めるわけには行かないんだ。とくにはお前のように、ずる賢い頭を持ってるガキはな。それに頭がよければ分かるだろ。現状を誘拐と理解するなら、今の自分のおかれている状況を、自分はどうすべきなのかを。つまり、大人しくしないと身の保障はないってことだ。いいな」
リーダーの言葉は頭に来たけど、今はどうこうできるわけじゃない。それに遠まわしではあるけれど、何か変なことをすれば、殺すということだろう。殺すって難しくてよく分からないけど、リーダーの言葉には思い脅しが混じっていることを、僕は充分感じ取っていた。
僕はため息をついて、仰向けに寝転がった。目隠しされてるから、天井なんて見えるはずないけど。
ん?目隠し?
目隠しをさせているということは、顔を見られないため。
そうか、僕はピンと来た。
顔を見られるのを恐れているという証拠だ。つまり、こいつらは僕を生きて返すつもりなのかな?
ドラマの娘は、犯人の顔を見たから殺されたとなっていた。
まだ、僕は助かるかもしれない。
そう思うと、ちょっと安心した。といっても完全に安心はできないけど。
無理に目隠しをはずすことはやめよう。おとなしくこいつらの言うことを聞いておこう。
僕は悔しいけど、そう誓った。
でも、忘れてた。
僕の誓いは、僕自身の手で何度も破られていることを―――。
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