第7話 ローズマリー(記憶)


「最悪…」

六月上旬。まだ梅雨の時期には入っていないと気象予報士は告げていたのに、華果は突然の雨に見舞われた。
店番をやる気のない母にまかせ、必要な雑貨を買いに出ただけなのに、すぐに戻る予定だったのに…。

「最悪…」

先ほどつぶやいた言葉を、ため息とともに吐き出した。
今日は定休日なのだろうか。シャッターの閉まった店の屋根の下から、大粒の雨を降らす雨雲を見上げた。
降り出してすぐに屋根下に避難したものの、雨足は一瞬で強くなり、華果の癖のある長い髪を濡らしていた。

車で来るべきだったろうか…
若葉マークがとれて間もない愛車を思い出す。
『FLOWERGARDEN』と書かれたワゴン。おしゃれと言えばおしゃれな車であるが、遊びに出かけるには使えない。
けれども用のある店は、徒歩10分もかからずに行ける所であるし、ガソリン代がもったいない。
後悔はない。

「(それに多分通り雨だろうし)」
ポジティブ思考に切り替えて、華果は雨を止むのを待った。
雨足は弱まることなく、視界は雨に遮られる。先の見えない雨の世界をじっと眺めていると、誰かがこっちに向かってきた。
頭を低くして肩をすくめながら、雨から逃げるように走っている。
どうやら華果どうよう雨にふられたようだ。
こちらに近づくにつれ、彼が青年だと言うことがわかった。彼は勢いをあまり殺さずに華果と同じ屋根の下に避難した。

「うわ〜もう最悪やわ〜」

彼は肩で息をしながら前髪をかき上げた。
明るい茶色に染まった髪と、黒のパーカーは濡れに濡れ、ポタポタと雫をおとしコンクリートの道を彩る。
「先客さんも大変やったなぁ…あ、ちゃう、大変だったな」
彼は隣にいた華果に、当然のように話しかけた。
にっこり笑う青年の顔はこんな雨の中にもかかわらず、太陽のように晴れやかで、子供っぽい笑顔だ。
「いやあ、ほんま突然ふるんやもん…天気予報、んなこといっとらんかったで…全くやわ」
青年は空を見上げながらぶつぶつとモンクをいい始めた。口をとがらす彼はどうみても子供ようだった。

「なあ、そう思わん?」
「え?」
「あ、ちゃうちゃう、そう思わない?」
彼はどうやら標準語をはなそうとしているようだ。けれども地方特有のイントネーションは抜け切れていない。
華果に質問をしたものの、青年はまたぶつぶつと難しい顔で何かをいい始めた。どうやら言葉遣いがうまくいかないらしい。
先ほどもそうだが、無理に標準語を使う必要があるのだろうか。

「(それにしても、このひとどこかで…)」
何かを思案するその横顔を、華果はどこかで見た気がする。 

どこだっただろうか…

「あの…」
「なんや?…ちゃう、なに?」
「えーっと、無理に標準語を使わなくていいと思いますよ?」
「え?ほんまに?」
「ええ、やっぱり方言って大切なものですし、別に伝わらないわけじゃないですから」
そういうと、青年の顔はとたんに明るくなった。
「やんなーそうやんな!やっぱ方言は大切やんな!?」
激しく同意を求める彼に押されつつ、華果はうなずいた。さらに彼は嬉しそうな顔をする。
「俺器用やないから、ここ二年ほどこっちおんねんけど、全然標準語話せへんくってさー」
「関西…の方ですよね?」
 聞きなれないその方言は、テレビやラジオで聞く西の方のものだった。
「そうや、出身は京都」
 青年は人懐っこい笑みを浮かべる。
 その笑顔に、華果は自然と親しみを抱いた。
「あ、一回だけ行ったことあります」
「ほんま?ええとこやろ、京都は」
「ええ、秋だったんですけど、紅葉が綺麗で…」
「春もええで、いっぺん行ってみ?桜が綺麗でなあ…」
 楽しそうに話をする青年を見ながら、華果はやはりどこかで彼を見た気がしてならなかった。
 
直接会ったんじゃない。
 何かをとおして…では何を?

「どうして、標準語を話そうとされるんですか?」
「え?ああ、それ、なんか関西弁って他所ではなんか怖い感じがするんやと。俺らはそんなつもりは毛頭ないんやけどな。まあ、怖がらせるのも悪いしってわけで、一生懸命標準語喋ろうとしてたわけ。せやけど、俺、そんなん苦手やし…ダチは器用に喋りよんねんけどなー」
 そういいながら青年は苦笑いする。
「なんであいつらあんな器用や…ね…ん??」
 頭をカリカリとかいていた青年は、ふと、華果の目があった。
 いや、ずっと彼は華果の目を見て話していたが、華果の中に何かを見つけたように目を丸くした。
「? どうかされました?」
 彼の明らかな変化した様子に、華果は首を傾げる。
「いやー…俺、どっかであんたと会った気がするんやけど…」
「え?」
青年は眉間にしわを寄せて、華果をにらみ見てきた。ずいずいと顔を近づけられ、華果はたじろぐ。
「どこやったやろ…?」
「私もどこかであなたにあった…というより見た気がするんですけど…」
「え?ほんま?」
「はい」
鼻があたるかあたらないかの距離を保ちつつ、華果はいう。

どこでみた?
どこでみたのだろう?

端からみれば、恋人同士にも見えないこともないが、どうやら本人たちにその気はないようで、難しい顔をしていた。

「どこやろ」
「どこでしょうね…」
「よし、顔だけやったらわからん。名前きいとこ。俺、相原和武」
「私は空口華果です」
「あーなんか聞いた気がする…」
「私もどこかで…」
二人は顔を離しうんうんと考え込んだ。

どこだったろう
誰だったろう
隣にいるこの青年は確か…

―――確か、総次郎さんと一緒にみたような

店の常連を思い出す。優しくて、男の人なのにどこかかわいくて、人見知りが激しいらしい、あの彼を―――。

「(かといって、だれかと一緒に店に来たことはないし…)」

そもそも、どうしてあの人と繋がるのだろう。
それに優しい笑みを向けてくれる彼ではなく、無表情な彼と繋がる。
無表情なのは緊張からと言っていた…
その表情はどこでみた?

確か―――確か何かの雑誌で―――

「「あー!!」」

滝のような雨の中、雨音に負けじと二人は同時に声を張り上げる―――。


自分は確かに青年を見た。

あの、彼の隣りで―――。


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