第6話 モモ(あなたに夢中) 「で、すっかりわすれてたけど、お前なんて名前なんだ?」 迫るくらいなら、先に聞けよ、とも思わないでもないが、華果の母は思い出したように総次郎に聞いた。 「五十嵐総次郎です」 総次郎は先ほど受けた傷を引き摺りつつも、丁寧に答えた。 「ふーん、私は空口薫子だ。よろしく」 艶やかな唇がそう告げ、華果の母――薫子は総次郎に握手を求め、総次郎は戸惑いつつもその手に答えた。 「で、携帯出せ、携帯」 「は?」 今度は掌を向けられ、総次郎は戸惑う。すると、薫子は呆れるような声で言った。 「携帯電話だよ。まさか持ってないわけないだろ」 「はあ…まあ…」 総次郎は呆気に取られながら、操られるようにポケットから黒の携帯電話を取り出し、差し出された掌に置いた。 「おお、赤外線対応か。こりゃ楽でいい」 薫子は慣れた手つきで総次郎の携帯電話を扱うと、いつの間にか取り出していた自分の携帯電話を操作していく。 「「・・・・・・・」」 総次郎も華果も、その姿を呆然と見ていた。 すると薫子は操作を終えたようで、総次郎の携帯をパタンと閉じた。 「よし、私の番号とアドレス入れておいたから。あとは自分なりに編集しとけ」 「はあ…」 唖然としながら総次郎は薫子から携帯電話を受け取った。 「じゃっ、華果も帰ってきたことだし私は部屋に戻るよ」 そう言って薫子は店の奥へと入っていった。 「・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・」 「…なんていうか、漢前なお母さんだね」 総次郎がなんとか紡ぎだした言葉はそれだった。 *** 「本当に、見苦しいところをお見せしてしまって・・・」 華果は総次郎に深々と頭を下げた。その口調からは本当に謝罪の気持ちと、そして恥ずかしさがあったようだ。 「い、いや、別に俺は気にしてないよ。ってか羨ましいよ、綺麗なお母さんだね」 総次郎はフォローをしたつもりだった。 それに華果に気を使ってほしくないのは本当だった。 けれども華果の顔は晴れるどころか、少し顔を暗ませて…なんというか眉間しわが寄ったようだった。 「…華ちゃん?」 「そりゃあ、母は私の年齢からしたら若いですよ。それに綺麗だったよく言われてます。自分でもそれを自覚してて、お父さんがいるのにもかかわらず、男の人にちょっかいかけて、それで男の人は…」 まさか痛いところを突いてしまったのだろうか。 今度は総次郎が暗くなる番だった―――というより青くなる番だった。 そうか、母親はなんというか、浮気性で、それで華果はそれをとても気にしていて―――。 「どうせ、私はお母さんみたいに綺麗じゃないですよ」 紡ぎだされた彼女の言葉は、大変、拗ねた口調だった。 ―――あれ? 総次郎は首を傾げた。 その拗ねた口調が紡ぎだされたそのふっくらした唇は、拗ねたとき特有に尖がっていた。 これは、母親の行動に悲しんで、苦しんでいるというより、母親と自分を比べて、敗北を感じて拗ねているようだった。 いや、拗ねていた。 「お母さんには全然似てないし、お母さんみたいに色気はないし、スタイルだって良くないし」 続く言葉に比例するように、眉間には深くしわが刻まれ、頬は膨らんでいく。 「私かお母さんか聞かれたら、男の人は誰だってお母さんを選びますよ」 最後の方はもうやけになっているようだった。 そして極めつけのように、顔を少し下げたまま、恨みがましい目で総次郎を見上げた。 「どうせ総次郎さんもそうなんでしょ」 総次郎は呆気に取られていた。先ほどの薫子の鮮やかな携帯操作ではないが…。 なんというか、華果もこのようなことを考えるんだと。 彼女はいつもぼけっとしていて、あまり物事に興味を持たなさそうだと思っていたのだ。 もちろんそれは偏見ではあるが。 だが、彼女はちゃんと笑うし怒るし、もちろん拗ねたりもするわけだ。 自分の容姿を気にして、異性のことも気になったりと…。 少しそれが嬉しくて、可愛くて、総次郎は微笑んだ。 「笑っているって言うことは、やっぱりそう思うんですね」 「あ、いや、そうじゃなくて…」 むすっとした顔の華果が言う。それすらかわいいと思えてしまえて、戸惑いつつも笑みはやまない。 「華ちゃんも充分かわいいと思うよ」 それは正直な感想。 けれどもこの前のように、彼女の顔が赤くなったりはしなかった。 ―――信じるものか。 そんな顔だ。 「そうですか?総次郎さんだってお母さんに迫られて赤くなったりしたじゃないですか」 そう、総次郎は薫子の行動に確かに戸惑って、そして異性として男として、彼女の魅惑に酔いそうにもなった。 「あ、いや、あれは…」 「ほら、そうじゃないですか」 身に憶えのあることに、総次郎は良い言い訳を思いつけなかった。 しかもそれを他ならない華果に見られていたのだ。 軽い男と思われただろうか。 華果はさらに恨みがましい目で睨みつけてくる。 そう、確かに酔いそうになった。彼女の、華果の母の美しさに…。 それは誰かを思い起こさせて、自分の中の余裕が消えて――――。 「――――あ」 総次郎は思い出したように声を漏らした。 ああ、そうか、薫子が、どうしても彼女と重なったのだ。 彼女ととても似ていて、重ねずにはいられなかったのだ。 目の前にいる、想いの人と―――。 そう思うと、こみ上げてくるのは、『羞恥』だった。 「総次郎さん?」 「あ、いや、なんでもないよ」 顔を抑え、俯いた彼に華果は首を傾げた。 彼女は知らない。 彼女の母親と彼女を重ねてしまった彼が、先ほどの自分に対して行った彼女の母親の行動を思い返して、真っ赤になっているのを―――。 そして彼は知らない。 彼女が拗ねた理由が、他でない彼だったからこそだということを―――。 だが、それは彼女も知らない―――分からないことだったということを―――。 |
〜モモ〜end |