第5話 ノコギリソウ(恋の戦い)


午後から、これといって予定のなかった総次郎は、何回目の訪問か分からない想い人の店へと足を踏み入れた。

「(あれ?)」

足を踏み入れると、路上に漂っていた花のにおいが一層強くなる。 
そんな花の匂いを心地良く感じながらも、総次郎は思わず首を傾げた。
カウンターに立っているのは、自分の想い人ではなかったのだ。
そこに立っているのは、腰まである茶色の髪が毛先でウェーブした女性だ。
また、女性にしては長身で、肩を露出した服を着、また、胸元も大胆に広げてあるため、胸の谷間がよく見える。
長いまつげをマスカラでさらに強調し、ふっくらとした唇には真っ赤な口紅が塗られている。
目鼻立ちもすっきりはっきりしているため、若く、美しく、また色っぽい女性だった。

そんな女性がいつも華果の立っている場所にいる。

総次郎は首を傾げずにはいられない。

では、彼女はどこへ?
今日は休みなんだろうか?

だが、この店は自分の家が経営しているといっていたし―――。

総次郎は思わずまじまじとその女性を眺めてしまっていた。
そんな視線に気づいたのか、女性は総次郎に向かって妖艶な笑みを向けた。

「―――っ!?」

あまりにも艶やかな笑みに、寒気のような、高揚のような、言いようのない感覚が総次郎を襲い、思わず一歩下がってしまった。
頬杖をついていた女性は、のっそりと身体を起こし、カウンターから離れると、総次郎にゆっくりと近づいた。

その行動一つ一つが色気を感じさせ、男を惑わす。

総次郎も例外ではなかった。
ただ、総次郎は女性の色気だけで戸惑いを感じているのではなかった。

なぜだろう、女性に似た誰かを知ってる。

総次郎だけが持ち、自身さえ分からない本能が、それを連想させ、彼を高揚させた。

「ふーん、なかなかいい男だな」
「?!」

 気がつけば、女性は総次郎の目の前にいて、同時に総次郎は壁際に追いやられていた。
 妖艶な瞳に見つめられ、知らず知らずのうちに後方に足が退いていったらしい。
 彼女は総次郎を足先から頭のてっぺんまで眺めるとうんうん、と頷く。

「お前、身長はどれぐらいある?」
「ひゃ、180ぐらいですが…」
「ふーん、なかなかあるんだな。歳は?」
「今年で22になりますが…」

 おずおずと答えると、女性はふんふんと頷く。
 なんなのだろうか?
 人見知りの激しさとあいまって、この状況に戸惑う総次郎は、ひたすら心の中で泣いていた。

 ―――誰か、助けてくれ。

 何故、今店には自分以外の客がいないのだろうか。
 総次郎は泣きたくなってくる。
 女性は長身ではあるが、もちろん自分よりかは低い。
 よって彼女を見下ろす形になり、胸の谷間が嫌でも視界に入った。
 その上、女性は自分と身体を引っ付けようとしてくる。
 男としては、嬉しい状況この上ないのだが、根っから純な総次郎はどうすればいいか戸惑うばかりで、喜ぶどころか、泣きたくなってくる。
 
それでも、総次郎の中で何かが高揚してくる。

「顔もいいし、スタイルもいい。私の範疇だな」

 女性はニタリと笑み、総次郎に顔を近づけてきた。
 きつくはないが、甘い香水の香りが総次郎をさらに困惑させる。

「(ちょ、ここは店ん中―――!?)」

 総次郎と、彼女の真っ赤な唇があと数センチ。
 混乱のあまり固まってしまい、動けない総次郎の唇に息がかかり―――。


「何してるの?!お母さん??!!」

 知った女性の怒声が、店に響いた。
 思わずそちらの方向に顔を向けると、そこには荷物を抱えた総次郎の想い人―――華果の姿があった。
 その顔は真っ赤になって怒っているようだった。

「……は、華ちゃん?―――はっ!?」

 彼女の登場に驚いたが、ふと自分が置かれている状況に気づき、慌てて固まった身体を無理やり動かして、くっついていた女性を引き剥がす。

「なんだ、華果、帰ってきたのか」
 引き剥がされた女性は、しれっと言う。

「”なんだ”じゃないわよ!店番を頼めば余計なことするし!」
 ずかずかと店の奥に入ってくると、華果はまだ距離の近かった総次郎と女性の間に割って入る。
「だって、暇なんだよ。客はめったに来ないし」
「今は時間的に来ないの!それぐらいお母さんだって知ってるでしょ!」
「けどさあ」

 華果の言葉に、女性は面倒臭そうに頭をかく。表情にも若干やる気がない。
 そんな女性になおも華果は怒声を浴びせるが、女性は全く懲りてない様子だ。
 そして、戸惑いつつも、総次郎は今の状況で呆然としていた。

「お、『お母さん』??」

 彼女はとても華果の母親とは思えないくらい若く見える。
 総次郎の声に、散々叫んでいた華果ははっとして、顔を真っ赤にした。

「す、すいません。母は若い男の人を見るといつもこうで…」
「おい、華果。それじゃあまるで私が見境ないみたいじゃないか」
「見境ないじゃない!ってそうじゃなくって…本当にすいませんでした」
「あ、いや、いいんだ、ちょっとびっくりしただけで…」

 この女性の行動にも、彼女が華果の母であることも。

 頭を深々と下げる華果に、総次郎はどうしていいかわからず戸惑うばかりだ。
 というか、さっきから困惑しっぱなしである。

「…なんだ、華果の恋人かなんかだったか?」
「なっ!?別にそんなんじゃないわよ!!」
 母の言動に、華果は振り返り大きな声で否定した。
 彼に背を向けてしまっていたがために、華果は気づかなかった。

グサッ
 
という、総次郎の心臓を貫いた音を。

また、彼女が総次郎に背を向けてしまっていたがために、彼が気づかなかった。

否定する華果が顔を真っ赤にしていることを。

そんな二人を視界に入れることができた、華果の母は―――理解した。

―――二人の関係を。

「(―――ああ、なるほど)」
 
 顔を真っ赤にする娘と、そんな娘の言葉に面白いくらいに傷ついている青年を見て母は、さて、どうしたものかと首を傾げた。

―――応援してやるか。
―――それとも反対するべきか。

―――それともそれとも、奪い取ってやるか。

どれもこれも面白そうだ。
母はにたりと妖艶な笑みを浮かべた。


〜ノコギリソウ〜end next〜モモ〜

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