第11話 アネモネ(期待) 薫子からの命令に、総次郎は呆然と立ち尽くしていた。 腕の時計を見ると、十時をすぎている。花屋だってとっくに閉まっているはずだ。 かといって行かなければ、店への出入りを禁止される。 それは困る。ひじょーに困る。 彼女に、華果にあえなくなってしまうのだ。 奥手な性格が災いして、携帯電話の番号も聞いていない。聞くこともできない。 薫子の言葉を無視して、これからも店にいくという手段もあるが、男より男らしい彼女に逆らうとあとが怖そうだ。 かといって、打ち上げをぬけ出すわけにもいかない。 浩大がいったようにこれも付き合いなのだ。 「どおしょー」 様々な葛藤に、総次郎はその場にしゃがみ込んだ。 ここから店に行くにしても、時間が時間なだけに電車の本数も少ないだろう。着く頃には十一時を確実に過ぎていると思う。いや、下手をすれば日付が変わりかけるか…。 タクシーで行けばなんとかなるかもしれないが、十一時は越えるはずだ。 「うおぉ…」 「何うなだれとんの?」 いっこうに戻ってこない総次郎を心配してか、和武が店から出てきた。 「カズ…いや、あのさ、打ち上げ抜け出すのってまずいよな…?」 「…多分な。なんで?」 「いや、そうだよな、うん、いいんだ」 自己完結したかと思えば、総次郎は再びうなだれた。 「おいこら、人に聞いといてなんやねんそれ」 総次郎の態度に苛ついたのか、和武は彼を激しく揺さぶった。 「ええねん、俺はきっと仕事と私どっちが大切なのって聞かれてもはっきり答えられへんやつやねん」 青い顔をしているのは酒のせいではない。自己嫌悪に陥っているのだ。 だが、和武が反応したのは総次郎の様子ではなかった。 「なんや、おまえ誰かと会う約束しとんのか?」 「約束っていうより命令?」 「…お前、誰かの下僕にでもなったんか?」 「なったつもりはないけど、若干そんな扱い?」 「なんやねんそれ…」 和武は呆れて掴んでいた総次郎の服を放した。 てっきり、会う予定の人物があの子だと思ったのだ。けれど、この様子では違うらしい。 「はー」 「何でそんな悩んでんねん、下僕扱いされてんにゃったら別にいかんでもええやん」 「いや、その人に逆らったらあとが怖いというか、困ることになると言うか…」 「はあ?」 意味がわからないという顔の和武に、総次郎はどう説明するべきか迷った。ばか正直に『相 手は好きな娘の母親で逆らったらその娘に会わせてもらえなくなる』と打ち明けるべきだろうか。 それはそれで遊ぶネタができたと和武を自分にとって嫌な方向に喜ばせそうだ。こいつには昔からSっ気がある。特に自分に対して。 「…相変わらず優柔不断なやつやのう」 「う゛っ!!」 「行くんやったら行ったらええやん。後々困ることになるんやろ?」 「カズ…いや、でも」 「一人くらい抜けても大丈夫だろう?」 「! コウ?!」 「緊急だったらしかたないんじゃないか?」 「テツも…」 総次郎と和武の会話に入ってきたのは浩大と哲哉だった。呆然としている総次郎とは違って和武は呆れたように口を開いた。 「メンバー全員出てったら変に思われるやろ」 「いやー俺だけ出るつもりだったんだけど、テツまで着いてきちゃってさー」 「ひどっ!?まるで俺は必要ないみたいな言い方」 「ちゃんと言葉の意味理解できてるならなんでついてきたのさー」 「ガーン!思いっきり俺はのけ者か?!」 俺はソウを心配して! ひどいひどいとわめく哲哉を軽く受け流しながら、和武以上のSっ気を持つ浩大は総次郎に向き直った。 「なんかあるんだろう?人数が人数だし、一人くらい抜けたって平気だろ」 「コウ…いやでも、すごい個人的なことだし」 「問題ないって。なんか言われてもなんとかするって――テツが」 「俺ー!?」 「あれ?どうにかしてくれないの?ソウのためだよ??」 のけ者扱いされたのに、責任を押し付けられた哲哉がショックを受けるのは無理もない。 けれどもそんな哲哉を無視し、浩大はさわやかな笑顔で人のよい哲哉が断れない言葉を口にする。 「え、いや、まあ、ソウがそうしたいんだったら、俺もなんとかしてあげたい、よ?」 歯切れが悪いのは、決してその役が嫌だからではない。 幼馴染のためなのに、そんなことを思いもせず一瞬でも嫌がる素振りを見せてしまった自分を恥じているのだ。 本当に根っからのお人よしである。 「じゃあ、決定。ほら、ソウ、行ってきなよ」 「え?あ、でも…」 なんだか着々と話が進み、総次郎は若干話しについて行けないでいた。 そして自分がこの場から離れることで何かあった場合、関係のない哲哉に押し付けることになってしまったのはなんとなくわかってしまい、おろおろとするしかなかった。 そんな総次郎の内心を察してか、哲哉は苦笑いした。 「かまへんよ、行ってき? 社交は大切やけど、なにもこの機会だけやないんやし。まあ、なんとかしてカズとコウも巻き込むから」 「なんなんそれ、俺ひとっこともなんも言うてへんで。っていうかコウ、さっさと話進めんなや」 「巻き込むなあ…テツにそんな器用なことできるとは思えへんけど」 普段使わなくなった故郷の言葉で、三人は口々に言う。 確かに、浩大も和武も何だかんだでフォローに回ってくれるだろう。 二人は要領がとてもいい。 「行って、ええんか?」 「だからかまへんて。何かしら理由があるんやったらしゃあないし」 「すごく私的なことやのに?」 「用事なんて裏返したら私的なことばっかりや。気にすんなって」 哲哉はにっこり笑っていった。 彼は本当に友人思いで、お人よしで、いつも後始末に回らせられる。 けれど、いやだいやだといいつつ、なんだかんだでやってくれるのが彼だ。 「大通りでたらすぐにタクシー捕まるだろ、ほら、一万円」 「え?!」 浩大が筋のついた一万円を総次郎に差し出した。さすがにびっくりしてしまい、声を上げる。 そんな総次郎に浩大はけらけら笑った。 「大丈夫だよ。テツのだし」 「また俺――――!?っていうかいつの間に!?」 哲哉は反射的にいつも財布を入れているズボンの後ろポケットを押さえるが、ない。 そして浩大の手には哲哉の使い古された黒の曲げ財布があった。 「お前はスリ師か!?」 「失礼だなあ、気付かれないようにものをとるのが得意なだけだよ」 「おもいっきりスっとるやんけ!?」 ふふふと、まるで貴公子のような笑みを浮かべる浩大に対し、哲哉は衝撃を受けていた。 財布を盗られてしまったことがショックだったようだ。しかも浩大に。 自分の財産をなにに使われるかわからない。 下手をすればクレジットカードまで使われそうだ。相手が相手なだけにキャッシュカードの番号まで知っていそうで怖い。 哲哉は「本当にしつれいだなあ」と笑う浩大から財布を奪い返し、中身を確認する。 盗られたのは本当に一万だけのようだ。今度は財布に鎖をつけておこうと誓った。 「えーっと、俺、タクシー代くらいならあるから大丈夫だよ? ありがとう、テツ」 勢いで受け取ってしまった一万円を、総次郎はおずおずと哲哉に差し出した。 なんだかいいおもちゃになってしまっている哲哉が、かわいそうで仕方がない。 すると哲哉は渋い顔をした。 「あーいいよ、貸しにしとく。また返して」 「え、でも」 「ええやん、テツ貸したるゆうてんにゃし、借りたらええやんか」 どうやら――自分ではないとはいえ――一度差し出したものを返してもらうのに気が引けたらしい。 哲哉は手をひらひらと振った。さすがにそれは悪いと思って、総次郎は慌てたが、和武が総次郎の背中にのしかかってきて言った。 「そうそう、人の好意はちゃんと受け取らなくちゃ」 「お前が言うな。お前が」 以前面白そうに笑う浩大を哲哉は睨みつけたが、やはり、効果はない。 「まあ、いいや。じゃあ、ツケとく。いつか返してくれたらいいから」 「哲哉…」 哲哉はにっこり笑って言った。本当に人のいい男である。 なんだか感動的なことになっているが、これから向かうのは男らしいあの女性の下である。 そう思うとちょっと気が引けてきた。 だが、ここで退いたら本当に彼女に会わせてもらえないかもしれない。それはいやだ。 早く行かなくてはなにを言われるかわからない。なにをされるかわからない。 「うん、ありがとう。じゃあ借りとく」 「ああ、そうしてくれ」 意を決した総次郎に、哲哉は温かい笑顔をくれた。 「でさーソウ、どこいくん?」 未だに背中に寄りかかっている和武が聞いてきたが、やはり正直に答えるわけにはいかず、総次郎は苦い顔をした。そして思った言葉を口にした。 「黙っといたほうが自分のためな気がする」 「賢明だね」 つぶやいた言葉に敏感に反応したのは浩大だ。やはりこいつは食えない。 普段遊ばれているのを自覚しているし、遊んでいることも浩大は自覚しているのだ。 それは、和武もしかり。だが、からかうことが好きなはずの和武は軽く相槌を打つだけだった。 「まあええや、今度聞かせてもらうさかい、はよ行ってこいや。もう10時かなり過ぎとるで?」 「え?!嘘?! ご、ごめん、じゃあお願い!!テツ、借りとくな!」 「気をつけて行ってこいよ!」 最後の最後まで気遣う心を忘れない哲哉は、総次郎の背中を見送った。 角を曲がって大通りを出て行く。 「じゃあ、まあ戻るか」 いつの間にか片手で携帯電話を操作していた和武の言葉に賛同した二人は、のそのそと店に入っていく。そんな三人にいち早く反応したのは、この宴会の中心人物の男性タレントだ。 「おおー!戻ってきた!…っとなんかひとり足りないな」 酒がかなり入っていても、まだ意識ははっきりしているらしい。総次郎がいないことに気付いた彼は訝しげな顔をした。それに対応したのは―――――浩大だ。 「すいません、あいつ急用出来ちゃって…どうしてもというので…本当にすいません…」 本当に申し訳なさそうに言う浩大に、さすがに責めるのも悪いと思ったのだろう。 男性は「ん、ま、まあそれはしかたないな」と歯切れは悪かったが、それ以上は何も言わなかった。 ―――たいした名演技やな それを眺めていたのは和武だった。 あの黒い腹の底では嫌な笑みを浮かべているに違いない。悪いなんてのもこれっぽっちも思っていないはずだ。和武は腹の底で悪魔の笑みを浮かべる浩大を容易に想像できた。 「えーソウさん帰っちゃったのー!?」 残念そうに声を上げたのは総次郎に絡んでいたアイドルだった。どうやら総次郎にアドレスを聞けずじまいとなって悔しいようだ。 ―――黄色い声上げよってからに キンキンと甲高い声は、どうやら和武の癇に障ったらしい。相手をする気もない。 だが、隣にいた哲哉は違った。 「ごめん、あいつ用事出来ちゃって…。俺でよかったら付き合うよ?」 申し訳なさそうに笑みを見せる哲哉は、それはもう―――爽やかだった。 そしてそれに陥落したのは―――アイドルだった。 「え、そんな、悪いですよ…でもテツさんがいいっていってくれるなら…」 「よかった。ソウほど酒は強くないけど、がんばるよ」 哲哉は自然に彼女の隣に座り、店員に軽い酒を頼んでいた。本当に自然だった。 ――――素って怖いな。 もうアイドルは哲哉にめろめろだ。頬が赤いのは酒のせいだけではないだろう。 二人を眺めながら、和武は呆れた。 哲哉も、総次郎に負けじと顔はいい。――――総次郎に負けじとへたれだが。 「(ま、ええか。バンドの株が下がったわけでもないし、あとは…)」 和武は空いていた席に座る。 そしてメールを送ったばかりの携帯の画面を眺めていた。 「あとは、あいつ次第やな―――」 「? カズさんなんか言いましたー?」 つぶやいた言葉に、隣にいた女性が敏感に反応してくる。和武は軽く首を振って笑顔で答えた。 「なんでもないよー。さあ、酒飲もか」 和武は店員に酒を注文して、携帯電話を閉じた。 *** 華果の耳に届いた音は、電子音。 華果は持っていた箒を壁に立てかけ、携帯電話を置いていたカウンターへ手を伸ばす。 「…?? あ、カズさんだ」 送り主を見てみれば、先日知り合った男性からだった。 何度かメールのやり取りをしていたので、別段に不思議に思うことなくメールを開いた。 『もうちょっと待ってたら、いいことあるかもよ(*`▽´*)?』 いいこととは、なんですか? いいことは、起こりますか? 今日に、それは訪れますか? 今日は―――特別な日なのです。 彼にとって―――。 そして、彼女にとって―――。 |
〜アネモネ〜end next〜アイリス〜 |