第10話 キンセンカ(静かな思い)


もうあたりはオレンジ色に染まり始めた。
店の前を行き交う主婦や、高校生、サラリーマンをぼんやり眺める。
今日が終わり始めていた―――。


***


「お疲れ様でしたー」

スタッフの号令で、総次郎はこっそりと安堵のため息をついた。
相変わらずカメラや人との会話には慣れない。正直あまり話していないが、会話を振られるたびにびくびくしてしまい、顔が引きつる。
そんな約3時間の撮影も終わり、あとは帰宅の戸につくばかりだ。
いや、つきたい。ものすごく。

「ソウーお疲れさんやなー」
「ああ、ほんとに…」
うなだれ気味の総次郎に気付いたのは、幼馴染にしてバンドのボーカル和武だ。
しゃべることが好きな和武はこういうトーク番組に向いている。元来明るい性格だし、人懐っこい。
総次郎にしたらうらやましいことこの上ない。もう少し、自分でもこの人見知りをなんとかしたいものだ。
「大丈夫か?今日はいつもより話、振られてただろ…?水もらうか??」
心配そうに声をかけてきたのは、和武と同じく幼馴染でバンドのドラムを務める哲哉だ。
世話焼きな哲也は、当然総次郎の苦手とする面を充分知っている。いつものように気を使ってくれた。
「いや、大丈夫。ありがとう…とりあえず、今は帰りたい」
「それがそうもいかないんだよねー」
けろりと言ったのは、リーダーの浩大。
その言葉に連動するかのように、少しはなれたところで大物タレントの声が上がった。  

「さー!これから飲むぞ!!」

総次郎の顔色は悪くなる。
三人はそんな幼馴染に心の中で合掌した。

「これも付き合いやな」
あきらめ混じり、ため息混じりに浩大が言った。


***


「もう閉店してる時間じゃないのか?」

店に明かりがともっているのに不審に思った薫子は、まだ店にいる華果に言った。
「あ、お母さん。うん、もう閉めるよ。その前に掃除…」
そう言って華果は持っていた箒で、床を掃き始めた。
「そんなの時間的に終わってるはずだろ、何やっているんだ」
「いいでしょ、別に。そういうときがあったって」
母の言葉に、華果は拗ねたように言った。
「だがなあ、もう10時…」
閉店の時間は8時だ。だが、もう10時を回りかけている。
ふと、華果のエプロンのポケットになにかが入っていることに気がついた。

それは―――。

「ま、ほどほどにしとけよ」
母はそういうと、携帯電話を片手に店の奥に戻っていった。


***


すっかり日も落ちた。
事務所への報告は、とりあえず電話で済ましておいたので大丈夫だろう。
バンドのリーダーである浩大はそんなことを思いながら、隣の女性歌手と会話をしながら酒を飲んでいた。
司会を務めた大物タレントのおごりで、急用のあるもの意外は皆居酒屋へと連行された。
そしてもうここに何時間いるのやら―――。
腕の時計を見れば22時を過ぎかけている。
ちらりとギター担当の幼馴染を見れば、女性アイドル歌手に思いっきり絡まれている。

―――あーあ、どんどん顔強張っていくぞー

生来人見知りの激しい総次郎は、人付き合いが苦手だ。
性格自体はとてもいいし、長い付き合いの浩大は総次郎の良さを知っている。だが、悪い面も知っている。
そのひとつが人見知りだ。
総次郎が人に気を許すのには時間がかかり、それまでは大体緊張して顔が無表情になっていく。
まあ、他人からみれば無表情であるわけで、浩大にしたら今の総次郎の顔は無表情ではなくひたすらあせっている顔だった。

誰か助けてくれ、そんな顔だった。

幼馴染だからこそ読み取れる技だ。
ふと視線を変えれば、哲哉が総次郎を心配そうに見ていた。
相変わらず世話焼きだなあ、思うが、まあそれが哲哉だ。
―――哲哉は総次郎以上に人がいいからな。
そんなことを思いながら、最後の一人に眼を向ける。きっと騒ぐことが好きな和武は、楽しんでいるに違いない。

そう思っていた。

だが―――。

――あれ?

和武は若干自分に似て悪趣味だ。
他人が哀れな状況になっていると、楽しむし、それに油を注ぐ行為だってよくする。
その的となっているのがたいていは総次郎だし、その次は哲哉だ。
だから、今の総次郎の状況だって楽しむか、気にしないかのどちらかだと思っていた。

けれども違った。

和武は大勢の人たちと話しながらも、総次郎を心配そうに見ていたのだ。

何かあるのだろうか?

すると浩大の視線に気付いたのか、和武があわてて総次郎が視線を外していた。

何か、あるな―――。

元来勘のいい浩大は思った。

「それで、ソウさんが歌詞をかかれているんですか?」
「あ、うん」
「へーすごい!じゃあ、今度私のも頼んじゃおっかなー」

酒を片手に意気揚々と話し続けるのは、今売れ始めているアイドルの少女だった。
席替えをして以来、ずっとこの調子だ。
「(未成年じゃなかったっけ?この子…)」
酒を飲みながら、総次郎は少女の年齢を思い返す。まあ、自分も二十歳前から酒を飲んでいたが…。
というか、この子はどうしてこうも自分に絡んでくるのだろうか。
こう、ぐいぐい押してくる子は人見知りの激しい総次郎にとって苦手とするタイプだ。
別に話すことが好きなことはいいことだと思うし、人懐っこいこともいいと思う。だが、苦手だ。
それにしても、自分の表情が今無表情になっているはずなのに、よくもこう話しかけられるものだ。
無表情は結構怖い気がするのだが―――。
そう思いながら酒を飲み干す。かれこれ何杯めだろうか…そろそろやめておくべきだろうか。
「ソウさんってお酒強いんですねえ」
「あ、うん、まあ…」
感心する少女に、総次郎は曖昧に答える。
総次郎は元々ザルだ。顔に出ないし、意識が朦朧とすることもない。
これは母親の血だと確信している。
といっても、別に酒が好きというわけでもない。付き合いで飲んでいたらザルだと気付いたのだ。
「じゃあ、次これ行きましょー」
少女がメニューを取り出して店員に注文する。それを飲む、というのを何度か繰り返している。
もう軽く5杯は行っている気がするが―――。
席替え前の分もあるから、もう10杯近く飲んでいるかもしれない。
すっかり出来上がって騒いでいる方を眺めながら、あんなふうにならない体質でよかったとつくづく思う。
我を忘れて恥をかくのは本当に嫌だ。
「ねえ、ソウさん、せっかくなんですし、番号教えてくださいよ――」
「え?」
少女にしてはやけに艶っぽい声で言われて、総次郎は目を見開いた。
いや、色気云々というより、番号を聞かれたことに驚いたのだ。
まあ、番号を聞くぐらいよくすることだろうし、そんな気にすることでもない。
ここは酒の席だし、明日になったら誰の番号かもわかっていないかもしれない。
少女からの絡みから逃げるためにも、ちゃっちゃか教えておくべきかもしれないし、断る言い訳も見つからない。
仕方なく、ポケットに入れていた携帯電話を取り出した。
「(俺もこんなふうに華ちゃんに番号聞けたらな…)」
想いを寄せる相手に未だに携帯の番号もアドレスも聞けない総次郎は、自分が情けなくて仕方なかった。
ちょっと心で泣きながら、パカリと携帯電話を開くと着信とメールが入ってた。サイレントにしていたせいで気付かなかったのだ。
どこからだろう?事務所からだろうか―――。
事務所への連絡はコウがやってくれたはずだけど。

総次郎はそう思いながら、着信の主を確認すると―――青ざめた。

「ソウさん??」
黙りこくった総次郎を不審に思ったのか、少女が声をかける。
しかし総次郎は少女に答えることもなく、そのまま立ち上がるとその場から離れた。
「ソウさん!?」

***

―――なななななんでこの人からかかってきとるん!?

店から出た総次郎は慌てて着信から発信ボタンを押す。
かけた相手は―――――空口薫子。想い人の母だ。
コールは三回ほどだった。

「あ、薫子さん??どうしたんですか?」
『…どうしたじゃねえよ、このボケ』
「は?!」

行き成りの容赦ない言葉に、総次郎の思考はストップする。
『いや、西の人間はボケというより、バカというほうがきくんだったか…このバカめが』
眼に見えない槍が、総次郎の脳天を突き刺した。

ひどい。
どういう理由で言われているのか知らないが、この仕打ちはあんまりだ。

「で、電話に出なかったのは悪かったと思いますが、それはないですよ!」
半泣きになりながら、総次郎は薫子に訴える。
『電話に出なかったことじゃねえよ、バカ。さっさとうちの店に来い。今すぐに、だ!』
「え?!今から!?ちょっと俺、今打ち上げで…というか、こっから店って結構時間かかるんですが…」
『今からこねえんなら、店の出入りを禁止する。ちなみに言うと、華果へ近づくことも許さんからな』

「ええ?!」

何それ拷問!?

というかこの人は自分の気持ちに気がついていたのか…。
焦りが総次郎の中を駆け巡るが、正直なところバレバレである。
『とにかく来い。これ以上は言わんからな』
「ちょっ!?」

ブツ…ツーツー

と、携帯電話からむなしく聞こえる。

「…どうしろと…?」
生暖かい風が、総次郎をなでていった。


今日が終わる。
今日は―――何の日ですか?


〜キンセンカ〜end next〜アネモネ〜

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