第五章

(4)


「婚儀、出席なさらないんですか?」
「俺は出席できる立場じゃねえだろ」
 婚儀当日の王の自室。正装に身を包んだ弟にいわれ、レグシアは不貞腐れた様子で答えた。
 男性の正装は女性の者とは違って、それほど煌びやかなものではない。黒を基調とした衣装は首元までしっかり襟をとめ、ぴっちりと前を閉じ、裾はひざ下まである。その上にマントを羽織り、腰には剣を携えていた。
「ああ、そうですよね、本来なら自分が出るはずだった婚儀なんてみたくないですもんね」
「そうじゃないっ。俺は婚儀に出席できるほど身分を持ってねえつってんだよ」
 からかうように言われてレグシアは睨みつけるが、タクマに懲りた様子はない。言い返した言葉は事実だ。レグシアのこの仮の姿の身分では、婚儀に出席できなかった。側妃との婚儀は、それほど国で大きく取り上げることはない。精々国の上層部だけを集めて、行う程度だ。よって大臣でもないアサギでは、その婚儀に出席することはできない。まあ、潜り込もうと思えば潜り込めないこともないが。
 しかし、自分が落ち着かない理由をレグシアは重々承知していた。婚儀には誓いとなる証が必要だ。その証が、自分に嫉妬に似た焦りを生じさせていた。だが、これは自分が選択したことであって、そのような醜い気持ちを抱くことすらお門違いであることも、わかっている。
 兄の気持ちを理解しているのか、タクマはにっこりとほほ笑んだ。
「そんなに気に病まないでくださいよ。オレはオレなりに兄上を気遣ってやるつもりですから」
「変な気を使うな。いいか、下手なことをすれば姫や使者の連中にどう思われるかわからないんだぞ」
「ま、うまくやりますよ」
 兄の忠告にも、タクマはあっけらかんと答えた。
「で、この間の夜はどうでした?なんか進展ありました?」
「…何で知ってんだ」
 この間の夜、とはおそらく、レグシアがラティアリスの部屋を訪れたことを言っているのだろう。
 それは誰にも言っていないはずなのだが…。だが、タクマはにっこりとほほ笑む。
「ラーラが教えてくれたよ」
「?!」
「兄上が何かしたら殺すつもりでいたって言ってましたよ」
「………」
 あっけらかんと言い放つ、弟の恐ろしい言葉にレグシアは何も言えなくなった。ラーラはあの王女のためにどこまで突っ走る気だ。それにしても忘れられがちではあるが、自分はこの国の王だ。反逆罪で問われないのだろうか。
「ラーラの気配に気づかなかったの? 腕落ちたんじゃない? あ、もしかして姫に気を取られ過ぎた?」
 にたりと笑むタクマの続けざまの問いにも、レグシアは返すことができない。確かに昨夜、ラーラの気配はしなかった。腕が落ちたというよりは、ラティアリスに気を取られ過ぎたというのが本音だろう。いや、一番は感傷に浸りすぎたせいかもしれない。
「薔薇園の話をしてた」
「――――」
 レグシアの放った言葉に、今度はタクマが何も言えなくなる番だった。というより、予想外のことに言葉に詰まった、というべきだろうか。
「どうしても、忘れられないんだろうなあ、俺も」
「…あの子は、似てるよね」
 タクマの呟きともいえるものに、レグシアは目を丸くした。
「そうか?」
「うん、似てる。オレが言うんだもん、間違いないよ」
「そうか…そうだな、そうかもしれない」
 レグシアは苦笑いして目を閉じる。浮かんでくるのは薔薇園で優しげな笑みを向けてくれた一人の女性。一番向けてほしい笑顔は、自分に向くことはないと分かっていたけれど、それでも求めてやまなかった。
 ああそうだ、確かに似ているかもしれない。どこか悲しそうな笑顔をしているけれど、温かくて優しいあの王女に。
二人の間に沈黙が続いた時、王の自室のドアが軽く叩かれた。タクマが返事をすると、使用人の女性が顔を出した。
「失礼いたします。アルマリア様のご用意が整いました」
「知らせてくれてご苦労だった。下がっていいぞ」
 そういうと、女性はすぐにその場を辞した。タクマはレグシアに向き直る。
「ではせっかくなので、行ってみましょうか」
「は?」

***



「まあ、やはり私が見てたた通りですわ! とても綺麗ですわ、姫様っ!」
「「きれーきれー姫様きれー!」」
「ありがとうございます」
 この二日間、しっかりと休み、衣装を身につけたラティアリスに、ユーリスたちは感嘆の声を上げた。ラティアリスも褒めちぎられ、気恥かしかったが、嬉しかったのも事実なので素直に礼を述べた。
「頭は大丈夫ですか? 重くありませんか?」
「はい、大丈夫です」
 気遣うユーリスに、ラティアリスは微笑む。確かに少し重く感じたが、気にするほどでもない。それほど長い時間こうしているわけでもないから、大丈夫だろう。
 それに、衣装もそうだ。動きにくそうに思えたが、それほど重くはない。常時コルセットでお腹を締め付けていたため、帯の締め付けもそれほど苦しいとは思わなかった。
「姫さまー陛下がおこしになられましたー」
 リラの声に、ラティアリスはラーラに支えられながら立ち上がる。それを見計らってリラとテラは扉を開けた。そこから現われたのは正装に身を包んだ王と、アサギことレグシアだった。
「ほお、これはこれは…」
「大変美しゅうございましょう? 陛下から頂いた薔薇を使わせていただきました」
「うん、本当にとても綺麗だ」
「あ、ありがとうございます」
 王の姿を模るタクマは、ユーリスの言葉にうんうんと頷いた。女性に褒められるのと、男性に褒められるのとでは恥らいの度合いが違った。思わず頬が上気する。
「銀の髪に、赤い衣か…。以外と合うものなんだな」
 タクマの言うように、ラティアリスの衣装は赤を基調としたものだった。加えて銀の髪と、その衣装の胸元には王より贈られたいくつもの薔薇が咲き誇っている。赤い薔薇は銀の髪によく映えていた。
 サイアルズについて当日にもらった薔薇は少し萎れていたので、ユーリスがわざわざ王に進言して新しい薔薇をもらったらしい。おかげでラティアリスを飾る薔薇は見事な赤を光らせ、艶やかで、とても美しかった。
「ほら、アサギ様も何かおっしゃってくださいな」
「え、あ、ああ…」
ユーリスはタクマの後ろで呆然としているレグシアに声をかける。だが、ラティアリスと眼が合うと身を強張らせた。
「アサギ様…?」
 固まったレグシアに、ラティアリスは心配そうに見つめ返す。もしかして皆は褒めてくれたが、似合っていないのだろうかと心配になってきた。なぜかそれが、とても不安になった。
「姫の美しさに見惚れて何も言えないようだな」
「―――っ?! ち、ちが…っ」
「そうでしたの…。まっ、当然ですわね!!」
 それに助け船を出すように、タクマがにやりと笑って言った。その言葉で我に返ったレグシアは慌てて否定するが、ユーリスは聞いてはいなかった。自分の出来栄えに納得しているようで、タクマと親指を立て合っている。
「だからっ!!」
「変、ですか?」
「え?! い、いえ、そんなことはありませんっ!!」
 そんな自分を無視する二人にレグシアは噛みつくが、ラティアリスの寂しそうな様子に態度を急変させた。
「よくお似合いです。衣も、薔薇も…」
「本当ですか? ありがとうございます」
 レグシアは優しげに微笑んでラティアリスに言った。ラティアリスもレグシアのその頬笑みに安堵して顔を綻ばせた。
よかった。例えお世辞だとしても、彼に褒められたことが嬉しかった。
どうしてかは、わからないが―――。
「姫―――」
「陛下、美しい薔薇をありがとうございました」
「いいや、あなたに喜んでいただけるなら、いくらでも贈ろう」
 ラティアリスはレグシアから手を伸ばされたことにも気付かずに、くるりとタクマに向き直る。素で無視されたレグシアが固まっているのに気づかずに、ラティアリスは嬉しそうにタクマに礼を述べた。タクマはタクマでそんな兄の様子に気づいていたようだが、あえて無視してラティアリスに微笑みで応える。
 絶望しているレグシアを、リラとテラが首をかしげて覗き込む。
「アサギ様可哀相?」
「可哀相可哀相」
「リラ!テラ!!」
「きゃーおこったー」
「おこったーおこったー」
 半泣きになりながら双子に怒ると、リラとテラは嬉しそうにはしゃぎ始めた。子供にもからかわれてしまう自分に、さらに絶望しているとそっとラーラが歩み寄って鼻で笑う。
「ざまあみやがれ」
 レグシアは灰になった。

***



「薔薇を贈ったのは兄上なのにね」
 くすくす笑うタクマに対し、レグシアはもう怒る気力すらなかった。まだ山のように積まれた書類があるのだが、今日はもう手もつけられないかもしれないと思う。
 待合室として設けられた部屋に、二人はいた。もうすぐ婚儀が始まる。レグシアは始まった後にそっと会場に侵入するつもりでいた。
「別に、その辺は気にしてない」
「どうだか」
 王女が身につけていた薔薇は確かにレグシアが贈ったものだった。だが、彼女は自分の姿を模るタクマが贈ったと思っているだろう。当然のことだ。当然のことなのに、タクマに嬉しそうに微笑む彼女を見ていると、悔しくなった。それは、彼女がオーリオに向けた笑顔と一緒だったからだ。
 苛立つ気持ちを吐き出すように、息をつく。
「とにかく、もう始まる。さっさと行って来い」
「そうするよ、このままいたら兄上の八当たりの的になりそうだ」
 くすくす笑ってタクマはそこから辞した。
 一人取り残された部屋で、レグシアはまたため息をつく。
 このまま婚儀が何事もなく取り置きなわれれば、一応オルアンナはサイアルズにつくことになるだろう。婚儀を行う場の周りには警備を強化してある。何か起きたとしても、取り押さえられるはずだ。
 たとえ彼女が偽物だとしても守る価値はあるし、こちらに取り込めば有利に事が運べる。
「国のために利用する、か。ま、当然だな」
 レグシアは昨夜の王女の笑顔を思い出し、苦笑いした。

***



「オルアンナ第一王女、アルマリア・アース・オルアンナ王女殿下のお成りでございます!」
 兵士が声高々にラティアリスの入場を告げる。扉が開き、ラティアリスはゆっくりと祭壇まで一直線に伸びる赤い絨毯に足を進めた。
 絨毯に沿うように、三十人ほどの重臣たちがラティアリスの登場に目を向ける。その中にはセシリアやイグレシオ達の姿があった。
 彼らは皆、ラティアリスの姿に息を呑んだ。
 薄いヴェールに覆われているものの、赤い薔薇で飾り立てられた彼女は、誰もが目を瞠るほど美しかった。銀の髪に咲いた大輪の薔薇たち。うっすらと輝く藍色の瞳。誰もかれもがその美しさに見惚れた。
 ラティアリスは祭壇に佇む夫となる王に手を差し伸べられ、そっと手を取り、耳打ちした。
「誰もがあなたの姿に見惚れている。まるで女神のような美しさだ」
「ご冗談を」
 秀麗な微笑みを向けられ、ラティアリスの頬が上気する。動揺を見せまいと返した言葉に、タクマは微笑みで応えるだけだった。
 タクマはラティアリスを傍らに従え、家臣たちに向き直る。
「ここに、サイアルズとオルアンナの栄光を願って、私はオルアンナの王女、アルマリア・アース・オルアンナを妻とする」
 王の言葉が響き渡り、縦列していた重臣たちはざっと一斉に胸に手をやった。オルアンナの使者たちも頭を下げた。
「アルマリア王女よ、異論はないな?」
「はい。私、アルマリア・アース・オルアンナは、レグシア国王陛下の妻となり、サイアルズとオルアンナを支えていきたいと願います」
 王の問いに、ラティアリスはしっかりと頷く。タクマもそんなラティアリスに微笑んで、祭壇に向かうよう促した。
「ならば、我がサイアルズの建国王ヴィリオーリの前で誓いを」
 祭壇を見上げれば、そこには彫刻を施された白い像が剣を掲げて、雄々しく堂々と立っていた。建国王ヴィリオーリ。彼は圧制を強いるコラテリアルから民を救い、国を立ち上げた英雄だ。彼はどのような想いで民を守ろうとしたのだろう。どのように民を守ったのだろう。
 タクマとラティアリスはヴィリオーリの前で向かい合う。ヴェールを取られると、タクマの秀麗な顔が近づく。間近で見れば見るほど、それはレグシアと似ていた。けれど、彼の時のように戸惑いは起こらない。そういえば、初めてだ。自分でも驚くぐらい冷静に、自然と瞼が降りた。
 タクマの唇が、ラティアリスの右口端を掠めた。驚いて目を開くと、悪戯っ子のように笑う彼がいた。広間に佇む者たちから見れば、二人は誓いの口づけをしっかりとしたように見えただろう。タクマは微笑んだまま、ラティアリスの肩を寄せ、剣を抜き放つ。
「サイアルズとオルアンナに、栄光があらんことを!」
「あらんことを!」
 王の言葉に重臣たちの声が続き、婚儀は何事もなく終わりを告げた。
 人々の声が上がる中、ラティアリスはそっとヴィリオーリの像を見やる。
 相変わらず堂々とたたずむ彼に、ラティアリスは心の中で思う。
 罪悪感は未だに残る。けれども、自分も自分なりに色々と背負って、覚悟をしてここにきた。
 ここでただ不安がっていては埒が明かない。ならば、彼のように堂々とオルアンナの名を背負おう。それが自分に課せられた使命だ。

 


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