第五章

(2)


「リラですっ!」
「テラですっ!」
「「二人あわせてリラテラですっ!!そのまんまですっ!」」
「ちなみに私はユーリスですわ、姫様」
「は、はあ…」
 王とセシリアに案内されてやってきたのは、後宮の一室だった。華やかで、それでいて柔らかな印象をあたえる大きな部屋は、どうやらラティアリスに与えられたものらしい。
 そしてその部屋で待っていたのは、三人の、少女と女性だった。
 そのうち二人は12、3歳の少女。ツインテールがよく似合う茶髪に緑の瞳をもった少女たちで、愛らしい顔立ちは全く一緒である。どうやら双子らしい。
 もうひとりは三十代前半の女性だった。焦げ茶の髪に、壁色の瞳は優しげだ。
 熱烈な歓迎を受けたラティアリスが呆けていると、それを助けるように王が一歩踏み出してくれた。
「この三人が、今日からあなたの世話をすることになる侍女たちだ。あと、ラーラもこのまま貴女につくことになっている。だが、ユーリスは女官長なので、あなたの専属、というわけではないが」
「ですが今、後宮には誰もおりませんので、専属、と思っていただいても結構ですわ」
「は、はあ…よろしくお願いします」
 ユーリスはにっこりと優しく笑って言う。そういえば、王にはまだ自分以外の妃がいないと言っていた。正確にいえば、まだ自分は妃ではないが…。
 ちらりと王を盗み見る。優しげな容貌をしているし、容姿も大変整っている。女性にもてないというふうには見えない。セシリアの言う通り、結婚を望んでいなかったというのが正解だろう。
 しかし、彼の容姿は大変ある人に似ている気がした。当の本人は眼鏡をかけているから、はっきりとは言えないが。
「それにしても、この様な美しい姫君を娶られるとは…自称乳母としては嬉しい限りですわっ!」
「「ユーリス様感動中―!」」
 わっと泣き始めたユーリスを、楽しそうに双子がはやしたてる。
「そうですっ!ユーリスは感動ですっ!!女官長に命じられてから早五年…、やっと真に使命を全うできる日が来たのですからっ!!」
 ユーリスはさらに号泣する。感極まって泣いている、というのが正解のようだが、賑やかな展開にラティアリスはついていけない。しかし王もセシリアも、にっこり微笑んで表情を崩すことはない。どうやらこういう反応に慣れているようだ。
「自称乳母ねぇ…」
「なんですかっ陛下!!この私が乳母ではご不満ですか?!」
「「ご不満ですかー? ご不満ですかー??」」
「不満ていうか、あんまり育ててもらった覚えがないんだが?」
 にっこり微笑んだ王に、ユーリスは衝撃を受けた顔をしたと思うと、また泣き出した。
「ひどいですわー!」
「…あの、これは…」
 やはり展開についていけないラティアリスが、セシリアに助けを求める。セシリアは相変わらず笑顔を崩さずに、ああ、と頷いた。
「いつものことだよ。ユーリスはなんていうか、ああいう賑やかな性格だし、兄上も兄上でああいう人を食ったような性格だ。ま、人は悪いが、人当たりはいいから、それほど気負わずにやっていくのがみそかな」
「は、はあ…」
 セシリアのアドバイスと言えないアドバイスに、ラティアリスはやはり呆然とするしかない。なんという賑やかな後宮なのだろう。ラティアリスが後宮に入ったことはないが、王の寵愛を得るために女性同士の争いが絶えず、ギスギスした空気が張り詰めていると聞いていた。この後宮には自分以外に人がいないせいもあるのだろうが、まさかこんな賑やかな展開になるとは予想していなかった。
 それともサイアルズがこういう賑やかな国なのだろうか。
 妙な思考に行きはじめているラティアリスに、王がそっと向き直る。
「では王女、今日と明日は休むといい。明後日の朝からは、簡単な婚儀を行い、そのあとはささやかな宴が続くことになっている。詳しいことはユーリスに聞いてくれ。あんな性格だが、仕事は出来る」
「どういうことですかっ陛下!!」
「そのまんまだ」
「ユーリスは悲しいです〜!」
「じゃあ、そういうことだから、またゆっくり話をしよう」
「は、はあ…」
 また泣き始めたユーリスを無視して、王はにっこりと微笑む。その笑みが、容貌とは別に誰かと重なる。
 それは、ラティアリスが求めてやまない人で―――。
「失礼するね」
「またな、姫」
 王はさっとラティアリスの手を取り口づけると、セシリアをともなって部屋から出て行った。
 嵐のような怒涛の展開がやっとすぎ、ラティアリスはやっと息をついた。

***



 この国の王レグシア・アシオ・ジーク・サイアルズ――今はアサギ・リトアーデと姿を変えているが――は、王のつく執務室の椅子に縛り付けられていた。
 山のような書類に目を通し、修正するべきところは修正し、判を押す。その作業の繰り返しだ。
 さっきまで文句を言っていたが、すぐに真剣に王としての役目を果たし始めたので、クルシオズはそっと部屋を出ていた。そんな執務室に、一人の来客がやってきた。
「可愛い王女だね」
「…なんで窓から入ってくるんだ、タクマ」
 来訪者は、レグシアの後ろの窓から現われた。その姿はラティアリスの前に現れた王だ。レグシアはそんな彼に驚くというより、呆れたように書類から視線をそちらにやった。
「癖だよ」
「どんな癖だ」
 あっけらかんと笑った弟に、レグシアはため息を漏らす。
 薄色の金の髪、長い前髪から覗くブルーサファイアの瞳―――それこそがアサギ・リトアーデの真の姿であり、彼が獅子王と言われる由縁であった。だが、それは今、弟、リーリティア・タクマ・アジ・サイアルズが模っていた。
 微笑めば、レグシアとタクマは瓜二つ。声もレグシアのほうが少し低い程度で、よく似ている。そこを利用し、タクマはレグシアの影武者を担っていた。タクマの本来の髪色は黒だったが、レグシアが長年伸ばした髪を切り、鬘にしたものを被っていた。それを被ればますますタクマは、余程近しいものでないとそれを見破れないほどに、レグシアによく似ていた。
「セシリア姉上から聞いたけど、あの王女にメロメロなんだって?」
「…ノーコメント」
「肯定か」
「うるさいぞ、タクマ」
 リーリティアという名より、タクマと呼ばれることを好む青年は、兄の叱責にもにっこりとほほ笑むだけだ。
「よく言うよ。城に着いた途端、オレに真っ先に会いに来て、釘を刺しにくるんだもの」
 にこにこと楽しそうに言う弟に、レグシアは言葉を詰まらせた。
 タクマの言う通り、レグシアは城についてすぐさま弟の元を訪れた。そして王女が偽物の可能性があることと、しかしだからといって無礼な対応はせずに出来るだけ優しくするように言った。かといって近づきすぎるなとも―――。
 兄の胸の内を理解しているのか、タクマはレグシアそっくりに笑った。
「大丈夫だよ、せっかくできた兄上の大切な人。どうこうしようと思わないし、むしろ守るのは弟のオレの役目だと思ってる。だから兄上は安心して、自分のなすべきことをしたらいいよ」
「タクマ…」
「ま、だからといって安心しすぎるとオレに取られちゃうかもね」
「鬼ー!!」
 担ぎあげて突き落とす。
 そんな鬼のような性格を持つ弟に、レグシアは悲鳴を上げた。しかしタクマはただけらけらと笑うだけだ。
 何を言っても無駄だと悟ったレグシアは、書類に目を戻す。
「それにしても、なんでこんなに仕事がたまってるんだ…」
「そりゃあ、兄上が二週間以上も城をあけるからじゃないか」
「お前にすべて任せたはずだぞ」
 さも当然、と肩を竦めるタクマを、レグシアは睨みつける。自分は確かに王だが、城を開けたりするときはすべての権限を影武者である弟に預けてある。それは、タクマがその能力に優れており、また的確な判断を下せる王たる気質を持っているがゆえだった。しかしタクマは肩をすくめたまま微笑むだけだ。
「政務を取り仕切るのは兄上の仕事だよ。オレの役目は、兄上の補佐だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「リーリティア」
「タクマだよ、兄上。オレはこの役目を誰にも譲るつもりもないし、降りるつもりもない。それが兄上の命令だったとしてもね」
 妖しく微笑む弟を見ていると、同じブルーサファイアの瞳が時々別物に思える。自分が何と言おうが、彼は自分に課した役目を降りることはないだろう。
 レグシアは憂鬱な気持ちになってため息をついた。
「姫の警護及び、監視を怠るな。何が起きるか分からん」
「御意に。陛下」
 兄と違って、弟は決して微笑みを崩さなかった。

***



 王の影武者であるタクマと、セシリアが去った後宮の一室の嵐は実は去っておらず、さらに賑やかなことになっていた。
「やはりこちらのほうがいいかしら? 姫様の銀の髪には青いほうが…」
「それもいいですけど、こっちの薄い紫のほうがいいんじゃないですかー?」
「私は橙色がいいと思いますー」
「………」
 休むように。王ことタクマにはそう言われたが、ユーリスやリラ、テラはまず、明後日の婚儀と宴のための衣装を選び始めた。確かに、明後日になって決めるのも大変だからそれに対して反対はないのだが、あーでもない、こーでもないと早一時間。ラティアリスは長旅もあってか、疲れがたまりはじめていた。
 けれども彼女たちは自分のためにとやってくれているのだ。拒否はできない。
「姫様はどれがいいですか?」
「「どれがいーですかー?」」
「私は、なんでも…」
 ユーリスと息ぴったりのリラとテラに押されながら、ラティアリスは苦笑いした。
 自分の好みと言われても、ラティアリスは困った。オルアンナでは与えられたドレスを身につけていたし、好き嫌いはあっても、選んだりはしなかった。それに、この国の正装はオルアンナとは全く違った。オルアンナの正装は、きらびやかどうかということぐらいで、普段のドレスとあまり違いはない。しかし、サイアルズは違った。
 サイアルズの普段の服装は、多少お国柄もあって違うところはあるのだが、大まかなところはオルアンナと一緒だ。けれど正装は襟を前で合せ、帯を前で結び、その上に大きな衣を羽織るといったものだった。生地にも煌びやかな刺繍が施され、裾も引きずるほどで、オルアンナのものとはかなり異なった。
 それを見せられ、美しいとは思ったが、ラティアリスの観点ではどれがよくてどれが悪いのか分からない。下手に選ぶよりも、選んでもらった方がいいのではないかと思ったのだ。
 すると、ユーリスもリラもテラも、またあーではないこーでもないと悩み始めた。
 しかし、ラティアリスは正妃ではないからそれほど大きな婚儀は行わない。式はだいたい20分ほどで終わるものだと言っていたから、それほどこる必要もないと思うのだが…。
 それを眺めながら、ずっと立ったままのラーラに話かける。
「オルアンナは芸術の国、といわれているけど、サイアルズにもとても綺麗なものがあるのね」
「これらの衣装はすべて東の大陸から伝えられたものです。といっても、かなり形は変わってきてますが…」
「そうなの?」
「はい。本来の形をよく知りませんが、帯は前で結ぶものではなかったと兄が…」
「ラーラのお兄様は物知りなのね」
「ええ、それなりに」
 ラティアリスが微笑むと、ラーラもうれしそうに笑った。
 サイアルズの人たちとうまくやっていけるか不安だったが、自分付になってくれた侍女はかわいいし、女官長は感情が高まりやすいが、いい人ではあるようだ。
 ラティアリスはそっと息をついた。
 すると、部屋の扉が軽くノックされた。それにユーリスが返事をすると、失礼しますと一人の使用人の恰好をした女性が入ってくる。
「陛下が、これをアルマリア様にと―――」
 そう言ってラティアリスに差し出されたのは、たくさんの真っ赤な薔薇の花束だった。
 美しく咲き誇る薔薇たちに、ラティアリスは目を奪われる。
「まあ、綺麗」
 ラティアリスの様子に、女性はにっこりとほほ笑んだ。
「先程はあまり話せなかったので、せめてもの詫びにと」
「ありがとうございますと、お伝えいただけますか?」
「はい、もちろんでございます」
 花束を受け取り、にっこりとほほ笑むと女性も笑顔で答えてくれた。彼女は軽く会釈をして部屋を退出した。
 それを見計らってユーリスが歩み寄り、薔薇を眺めた。
「これは、きっと薔薇園の薔薇ですわね」
「薔薇園?」
「はい。この後宮のある庭に、薔薇園があるのです。そこは先王さまがあるお妃さまの為に造られた薔薇園で、今ではレグシア陛下が所有してらっしゃいます。その薔薇園には陛下がお許しになったものしか入れないようになってるんですよ」
 かくいう私も、数回しか入ったことはないんですけどね。そういってユーリスは嬉しそうに微笑んだ。
 薔薇に目をやると、その美しさと、濃厚だが嫌みのない香りが鼻をくすぐる。その薔薇たちは、ラティアリスが母から譲り受けた懐中時計を思い出させてくれた。
「とても綺麗な薔薇ですね」
「そうですね…ってそうだわ!」
 ユーリスは何か思いついたのか、パンと手を合わせた。そして目を丸くするラティアリスたちに、にやりと笑う。
「せっかくですわ、その薔薇を使わせていただきましょう」

 


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