第五章

(1)


 レグシアの願いは、割とすんなりかなえられた。次の日はとある領主の城で一泊した後、二日後には王都に無事帰還することができたのだ。
 王都に入る前にラティアリスは旅用の馬車から降ろされ、オルアンナを立つ際に乗った儀礼用の馬車に乗り換えた。ドレスも上質のものに着替え、王との謁見に備える。
 馬車に乗り合わせたのは、こちらもオルアンナの時同様イグレシオだった。城門から王都に入り、町の様子を眺める。そこはオルアンナとまるで違っていた。活気があって、笑いがあって、人々は王族の紋が入った馬車に敬意をこめて頭を下げた。中には、誰が乗っているのか興味ありげに眺めている子供たちもいる。
 オルアンナとは正反対だ。
「とても、活気のあるいい街ですね」
「そう言っていただけると、光栄です。といっても、ここまで経済が発展し始めたのは、つい最近のことなんですよ。度重なる戦争で、民も疲弊していましたし、それによって得られる収入も少なかったんです」
「それは、セシリア様からお聞きしました…。レグシア陛下の御世になってから、経済も安定し始めたと…」
 ラティアリスからの情報に、イグレシオは頷く。
「ええ、その通りです。けれど目にはっきりと見るようになったのは、宰相閣下が変わってからですね。あの方のおかげで、陛下の政権も落ち着きましたし」
 そう言ってイグレシオは馬車の外に目をやる。相変わらず人々は好奇の目を向けてきていた。純粋なそれに、嫌みは全く感じられない。むしろそれが、この国の豊かさや平穏さを主張しているようにも思えた。
 他愛のない会話をつづけていると、馬車が大きな門の下を通過した。
「もうすぐですね」
 それを見届けてイグレシオが言う。どうやら城門らしかった。窓から外を眺めると、白を基調とした立派な城が視界に入った。その造りは文化で栄えているオルアンナとはまた違った華やかさがある。素朴ながらも、それを補うだけの大きさや、圧倒されるものがあった。
 馬車はカタコトと音をたてて石畳の通路をゆっくりと進む。城の前には大きな広場があり、芝生が広がっている。天気がいいので、その風景がすがすがしく感じられた。
 その風景を眺めていると、ついに城の前に着くことができた。すぐにイグレシオが馬車から降り、ラティアリスに手を差し伸べる。その手をかり、ドレスの裾を少し持ち上げながらイグレシオ同様馬車から降りた。
 近くで見ると、またそれは圧倒的だった。ここは城のごく一部なのだろうが、それでも思わず息をのんでしまう。
「姫、さあ」
 呆けているラティアリスに、イグレシオは優しく微笑んで手を引いてくれた。慌てて我に返る。
 目の前に広がったのは大階段だ。とても広い階段の先には大きな扉があり、そこに数人の身なりの良い者たちがラティアリスを待っていた。
 イグレシオに手をひかれながら、その階段をゆっくりと上がっていく。少し距離を置いて後ろからセーラムやゴドウィック、他の使者が続き、さらに後ろからセシリアやラーラも続いた。アサギことレグシアの姿はそこにない。
 階段を登りきると、眼鏡をかけた青年がラティアリスを笑顔で迎えた。
「ようこそおいでくださいました、アルマリア王女殿下。あなた様の御到着、皆心待ちにしておりました」
「ありがとうございます」
 微笑んだラティアリスに、青年はラティアリスの手をとって口づける。
 腰まである長い黒髪を後ろで一つにまとめ、瞳は濃い緑色で目つきは切れ長だ。きつい印象を与えられるが、容姿は大変整っており、その印象すら美しくみせた。
「私はクルシオズ・アッシェン。この国の宰相を務めております」
「まあ、ではあなたがイーグ様のおっしゃっていた方ですね」
「おや、私のことを話題にしていただけるとは大変光栄ですね」
 クルシオズは微笑んで、イグレシオに視線を向ける。イグレシオもそれを微笑みで応えた。
 するとそっとセーラムが三人に歩み寄った。ラティアリスはセーラムに場所を譲る。
「初めまして、クルシオズ殿。私はこの使者団の責任者セーラム・ユースと申します」
「はじめまして、セーラム殿。此度の会談、よろしくお願いいたします」
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします」
 そう言ってセーラムはクルシオズに頭を下げた。ゴドウィックを見ると大変面白くなさそうに、二人の様子を見ていた。セーラムは今回の交渉に貢献してくれそうだが、ゴドウィックの態度を見ていると、ラティアリスは不安になった。何も起こらなければいいが。
「さあ、中へ入りましょう」
 クルシオズはラティアリスを促し、彼女もそれに従った。中に入ると、いくつもの支柱が天井高く伸びていた。中も白を基調としたもので、質素ながらもそれが逆に美しさを際立たせている。
「長旅でお疲れでしょうが、まず陛下にお会いください。陛下も王女殿下の御到着を心待ちにしておりました」
「お気遣いありがとうございます、クルシオズ様。私も陛下にお会いできる日を、たいへんたのしみにしておりました」
「そうですか、陛下もお喜びになるでしょう」
 クルシオズの先導を受けながら、ラティアリスたちは広間を進んでいく。いくつかの廊下を抜け、二階分ほど階段を上ったところで案内されたのは、頑丈だが質素な造りの両開き扉の部屋だった。クルシオズが扉をノックすると、すぐに返事が返ってきた。
「失礼いたします、陛下」
 クルシオズが扉を開く。ラティアリスはそれがやけにゆっくりに感じられた。
 扉が開ききる。応対室としてつくられたのであろうそこは、それほど広くはなかったが臙脂色で統一されており、柔らかな印象を与えた。クルシオズの先導を受けながら、部屋へと入る。
 扉の正面の窓辺の奥に立っていたのは、一人の青年だった。
 窓から差し込む光に、その薄色した金糸の腰よりも下に伸びている、だらしなく一つに束ねた髪が反射する。青年はラティアリスの姿を認めると、優しく笑って歩み寄る。
「そちらが、アルマリア王女かな?」
「あ、は、はい」
 優しげな微笑みは、ラティアリスの頭にある人物をよぎらせた。青年の声に我に返り、慌ててドレスの裾をつまんで頭を下げる。
「はじめまして、アルマリア・アース・オルアンナと申します」
「そうか。はじめまして、私はレグシア・アシオ・ジーク・サイアルズ。一応、この国の王を務めている。あなたの夫となるものだ。長旅、よく耐え抜いてくれた」
「ありがとうございます」
 そう言って青年――王は微笑みを崩さない。ラティアリスは顔をあげ、正面から王の容姿を見て思わず息をのむ。
 それは―――透き通った美しいブルーサファイアの瞳。そして、誰かを思わせる容姿。よく似た声。
「イーグ、それにセシリア、姫の護衛、ご苦労だった。礼を言う」
「もったいないお言葉でございます」
 王のねぎらいの言葉に、イグレシオもセシリアも頭を下げる。王は頷いて、使者団に向き直った。
「使者の方々も、遠路はるばるご苦労だった。あなた方にも、充分寛げるよう、部屋を用意してある。ゆるりと休まれよ」
「ありがたき、幸せ」
 セーラムは王に深く頭を下げ、他の使者団も倣ったが、ゴドウィックだけは相変わらず不服そうだ。
 すると、クルシオズは王にそっと歩み寄った。
「ところで陛下、アサギ殿を見かけませんでしたか? 彼なら真っ先に陛下のもとへむかうと思っていたのですが…」
「アサギか、アサギなら――」
 クルシオズの問いに王はさっきとは打って変わって無邪気に笑い、親指で部屋の奥にある扉を指した。
「たぶん、あっちの部屋から逃げようとしてる」
 どがしゃんっ
「え?」
 王の返答と同時に、奥の部屋から大きな物音がした。ラティアリスは目を丸くするが、クルシオズは素早く扉に向かい、中に入る。すると、半泣きの声がその部屋から上がった。
「裏切り者ー!!」
「心外だなー私は正直に答えただけなのに」
 部屋の奥から聞こえてきたのは、ラティアリスもよく知る青年の声だった。どこへ行ったのだろうと思っていたら、こんなところにいたのか。彼の居場所を伝え、罵倒された本人は笑みを崩していなかった。
「逃しませんよ、あなたにやっていただくことは山ほどあるんですから」
「いやー!!」
 アサギこと、レグシアの悲鳴にラティアリスは茫然としていたが、王はにっこり微笑んでラティアリスに向き直った。
「さて、外野は放っておいて、こちらはこちらでやらねばならないことがあるんだ」
「え、あ、でも…」
「大丈夫だ、姫。あれはいつものこと、気にしなくていい」
 王に背中を押されるが、ラティアリスはレグシアの悲鳴が気になって仕方がなかった。そんな彼女をさらに押したのはセシリアだ。セシリアも王も、大変いい笑顔で、ラティアリスは戸惑うしかない。困惑したラティアリスはイグレシオに助けを求めるように、視線をやった。
 しかし、イグレシオは青い顔で首を横に振る。
 どうしようもないんです、彼の表情はそう語っていた。
「さあて、行こうか、姫」
「そうそう、姫には色々紹介したいものたちがいるんだぞ」
「え? え?」
 息ぴったりの二人に押されながら、ラティアリスは部屋を出る。そのあとをラーラが何食わぬ顔で続いた。
「では、使者の方々はこちらへ」
 そう言ってセーラム達に案内を申し出たのは背の高い老人だった。使者たちは戸惑いながらも、その老人へ続く。
「では、姫様、私たちはこれで」
「え、ええ、ご苦労さまでした」
 セーラムに頭を下げられ、ラティアリスも頷く。そうこうしている間に、ラティアリスはどんどんと部屋から離れていった。そしてその部屋の奥の方から、悲鳴に似た叫び声が上がった。
「はくじょーものー!!!」

 


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