第14話 レウイシア(熱い思慕) 梅雨が明けた。 店の前に立ち、見上げる華果の瞳には、真っ青な気持ちのいい空が広がっていた。 少し暑いが、それも夏の訪れを告げる合図の一つだ。なんだかそれが嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。 「ご機嫌ですね」 穏やかな声をかけられて振り返ると、そこには刈り上げた髪に、サングラス、強面にスーツという、少し怯えてしまう容姿を持った男性が立っていた。 しかし、それを多少緩和させてくれているのは、華果が身につけているものと同じ柄のエプロンだ。 声をかけられた華果は彼の容姿に怖がることもなく、首をかしげる。 「そうですか?」 「ええ、というより、ここ最近ずっとご機嫌です。よく鼻唄も歌ってらっしゃいますし」 男性はその容姿に似合わず、くすくすと穏やかに笑う。気づいてもいなかった事実を知らされ、華果は頬が火照るのを感じた。 「何かいいことありました?」 「いいこと、ですか?」 なかったと言えばうそになる。 そういえば、半月ほど前、ある人に誕生日プレゼントを渡して以来、なんだか心が弾んでいる気がした。それが周りにも分かっているほどに、浮かれていたとは―――。 「えっと…」 話すべきなのだろうか…。 いや、いくらなんでも、自分の恋話を男性に聞かせるのには抵抗があるし、恥ずかしい…。 答えにあぐねていると、まだ男性がくすくすと笑いはじめた。 「いいですよ、無理におっしゃらなくても。私はお嬢さんが楽しそうにしているだけで嬉しいですから」 男性は本当にうれしそうだ。 きっと彼にとって自分は妹のような存在だからだろう。 彼は『小野崎竜也』。母薫子の花屋とは別の仕事の部下で、華果は幼いころから彼によく面倒を見てもらっていた。そしてまた、竜也はこの花屋の手伝いもしてくれているのだ。 外でくつろぐのもほどほどに、華果は店の中に戻って伝票の整理をし始めた。そしてそれを見ていた竜也はぼそりと呟く。 「まあ、なんとなく予想はつきますけどね」 「え? 何か言いました?」 「いいえ、何も」 竜也はにっこりと微笑んで、花に手を伸ばした。 お嬢さんも女の子なんだなあ…。 それが嬉しいような、反面、さびしいような。 竜也は幼いころから面倒を見てきた少女が変わっていくことが、いいことなのに、複雑な心境になった。 けれど、相手には竜也も納得がいっているから文句が言えない。 確かに不安定な職についている男性ではあるし、内面は多少子供っぽいところがあるものの、誠実だ。 華果がここ最近ご機嫌な理由を把握している竜也は、件の人物を思い出して苦笑いする。 華果はここ数カ月で、変わった。 小さいころから彼女を見ている自分は知っている。 いつも眠たそうな眼をしていて、受け答えは淡々としている。笑わないわけではないし、怒らないわけでもない。 それでもどこか表情の起伏は乏しかった。 しかし、最近はその乏しかった表情が目まぐるしく変わり始めている。 そのきっかけを与えたのは、ひとりの男性――。 なんでも、ファンの子に追いかけまわされているところを華果が助けたそうなのだが、それ以来彼はよく店にくるようになった。 初めこそ、お嬢さんに近づく悪い虫、と警戒もしたが、接してみるとそうでもなかった。 初めて会ったとき、彼は竜也の外見に怯え、あまりはっきりした受け答えもしてくれなかった。なんて優柔不断な奴なんだ、と思ったが、それはただたんに彼の人見知りの激しさからくるものだった。 何度も接しているうちに、次第に打ち解けてくれるようになったし、店に立っていたら嬉しそうに『竜さあん!』と駆け寄ってくれもした。 弟ができた気分で、少し嬉しいのが正直な感想だ。 そんな彼が華果に恋をしているには、はたから見れば十分に知れた。気づかないのは華果だけだ。 自分の上司である薫子も、それを承知しているようだったし、何よりからかう材料があっていいと悪趣味なことを言いながら煙草をふかしてもいた。 そして、それは彼の一方通行なわけではなく、華果もまんざらではなかった。 彼が訪れれば華果の表情はころころとあり得なくらい変わるし、彼がいなくても、話題に出せば、嬉しそうに微笑む。 誰の目から見ても明らかだろう。 だが、そんな二人は残念ながら重度の奥手だ。 はてさて、どうしたものか…。 やはり二人を好く自分としては、何とかした上げたいものだ。 箒を持って、店の前を掃く。 サングラスをかけた強面のスーツを着た青年が、掃除をする姿は大変奇妙な情景で、行きかう人たちは思わず振り向いていくが、本人は気にせず、というより気付かずに憂いを帯びたため息を吐いた。 そんな初夏の昼下がり、来訪者はやってきた。 「華果! 久し振り!!」 「悠君!?」 なんの先ぶれもなくやってきた少年に、華果も思わず声をあげてしまう。 当然だろう。会うのは半年ぶりだ。 「お久しぶりです、悠さん」 「おう! 竜は相変わらず怖い顔してんなあ!!」 髪を茶色に染め、八重歯が覗く元気な少年は年上の竜也に大変大きな態度をとるが、竜也は気にせずに頭を下げる。 「どうしたの、急に…」 「ん? ん、んーまあ、たまたま近くをよったから…」 「確か、この時間はまだ大学の講義があるのでは?」 「うぐっ!」 華果の困惑まじりの問いに、少年は歯切れ悪く返すが、竜也はきっぱりはっきりと鋭く突きさす。 それに目を丸くしたのは華果だ。 「だめじゃないの、そんなことしちゃ…」 「そ、そんなことないぞ! 華果は大学に行っていないから知らないんだ。大学ってそう授業があるわけでは―――」 「上回生ならともかく、大学に通いたての一回生の時間割というのは普通つめつめだと思いますが?」 「竜は黙ってろよ!!」 淡々と図星をつかれ、少年は顔を赤くして噛みつくように吠えた。だが、竜也は落ち着いたものだ。 少年は海藤悠司。華果の一つ下の母方の従弟で、彼女にとってはもう一人の弟のような存在だ。大学入試だ、入学だで、ここしばらく会っていなかった。いつも元気で、賑やかで、負けず嫌いな少年は変わっていない。久しぶりの再会に、華果の顔は自然と綻んだ。 「今日は急にどうしたの? 言ってくれたら、おやつとか用意したのに…悠君チョコレートクッキー好きだったよね?」 「俺はもうガキじゃないぞっ!」 華果のあやすようなセリフに、悠司はムスッとなる。その反応がまた、彼女の態度につながっているのだが、悠司はただ、不機嫌に唇を尖らせるだけだ。 「しかし悠さん、華果お嬢さんの言うとおりですよ。急にどうされたのです…今は平日の真昼間。講義は…」 「さぼった!そういやいいんだろ!!」 「そんな、堂々と…」 開き直って宣言する悠司に、華果も竜也も呆れたため息しか出なかった。 「それで、さぼって何をしに来たのです? 遊びに来た、というのでしたらご両親に連絡しますよ?」 竜也の脅しに、悠司は顔面を青くさせて首を力の限り振った。一応、親に学校をさぼっていることが知れるのはまずいらしい。罪悪感がある証拠だ。 「ち…ちゃんとした理由はあるぞ?! いや、ちゃんとした…じゃないかもしれないけど…」 反射的に大声で否定したが、やはり何か後ろめたいことがあるのか、正当な理由でないことを自覚しているのか、だんだんと声量が小さくなっていく。 「ほお?」 「こ、これっきりだから! もうさぼらないから!! だから今回は見逃してくれ!!」 この通り! と悠司は竜也の前で手を合わせて頼みこむ。彼の『今回だけ』は守られたためしがないが、いつものことだと竜也は溜息をついた。 「守ってくださいね」 「恩に着る!!」 竜也の了承に、悠司の表情はぱあっと明るくなった。本当に安心したのだろう。 しかしその様子にはやはりため息しか出ない。だいたい、学校をさぼってまで何をしに来たのだろう。要件があれば、電話を使えばいいし、遊びに来たければ休日にこればいい。華果も竜也も仕事はあるが、会う時間ぐらいさける。 しかし、竜也には何となく、悠司の訪問理由が分かっていた。 「それで、悠君は何しに来たの?」 「え? えーっと、そーだな、そのだな…」 何度目かの同じ質問に、悠司の笑顔が引きつった。切り出そうか、切り出すまいか…。言いにくそうに視線をあっちやり、こっちやり…特に華果とは目を合わさず、口はまごまごと動かして何を言っているか分からない。 顔が若干赤い気がするが、こういうときの彼はたいていろくなことをいわない。悪戯を白状するかしまいか、何か良からぬ隠し事をしているときの様子とよく似ている。 「…お金なら貸さないよ?」 「ち、違う!なんでそうなるんだ! そもそも、華に金なんて借りたことねえだろ!」 「あるよ、小さい頃の肩代わりした駄菓子代の300円、返してもらった覚えがないし、中学の頃のCD代だって―――」 「悪かった! 悪かったよ!! つうかいつまでも覚えてんなよ!!」 華果の不満そうな返答に、悠司は青くなる。 しかし、華果にとっては結構重大な問題だったのだ。小学生や中学生は100円すら高額なのだから…。 「別に。今は働いてるからいいけどさ」 確かに、今更返してもらおうなんて思っていない。だが、その事実をすっかり忘れている悠司に少し腹が立ったのだ。 まったく、都合の悪いことはすぐに忘れる。そもそも悠司には誠意がない。 「(総次郎さんと全然違う)」 男性に今まで異性として意識したことがなかったのは、一重に悠司の存在があったからだと思う。悠司はガサツで、自分勝手で―――。正直迷惑しかかけられていない気がする。 みんながみんなそういうわけではないと分かっていても、どうもそういう感情を抱けなかった。まあ、自分の方が年上だったから、悠司にとっては姉に頼っている気分だったのだろう。 自分も自分で頼られて悪い気はしないけれど…。 「(総次郎さん、今頃どうしてるかな―――)」 ふと、頭に総次郎の顔がよぎる。 それだけで、なんとなく幸せな気持ちになった気がした。 「―――なっ! 華果!?」 「はい?」 「『はい?』じゃねえよ! 人が話しかけてんのに急にトリップしやがって」 恨みがましい目線を向けられ、華果は何となく肩身が狭く感じた。それと同時に、恥ずかしさもこみ上げてきた。 ここにいない、しかも自分勝手な想いを馳せてしまうなど、少女漫画もいいところだ。それに話を聞いていなかった自分も悪い。 それにしても悠司の顔が赤い。かなり怒っているのだろうか。 「ごめんなさい…」 しゅん、とうなだれると、悠司はバツが悪そうに「ま、まあ別にいいけど」と唇を尖らせた。 「それで…」 「そうだよ…せっかく人が勇気振りしぼったのに…」 「勇気?」 「別に…ただ…あーっと、その…」 あれだけ渋った要件を一回言ったのに、聞いてもらえなかったのが余程悔しかったのだろう。再び切り出しにくそうに、悠司は口をもごもごとさせている。 金を貸し借り、ではなかったら、いったいどんな要件なのだろう。渋る悠司に首をかしげていると、それを傍観していた竜也がまるで助け船を出すように口を開いた。 「悠さんは、今度の日曜日にお嬢さんと一緒に遊びに行きたいそうですよ」 「え?」 「り、竜!?」 目を丸くする華果とは対称的に、悠司は顔を真っ赤にさせた。だが、竜也はにこにこと微笑んでいる。 悠司の切り出したかったことは、まさにその通りで、所謂『デートのお誘い』であった。 「ち、違うぞ! 映画のただ券手に入ったから、折角だし――」 顔を真っ赤にさせる悠司の言い訳しているような叫びに、ぱちぱちと眠そうな瞳を瞬きする華果は、暫くしてからその内容を理解した――― 「残念だけど、日曜は仕事が入ってるから無理よ。それくらい、悠君だってわかってるでしょう?」 ―――はずだった。 「もともと、この店は私と竜さん、たまにお母さんでまわしてるの知ってるでしょ? 日曜なんて一番忙しい時期、抜けられるはずないわよ」 何言ってるの。 と、華果はイタイケな少年の心情を理解することができずに、眉を下げる。 見事な右ストレートを食らった悠司は、がっくりとその場にうなだれる。それをみた華果は、さらにそれに拍車をかけた。 「ああ、そこは濡れてるから膝なんてついちゃダメよ。まったく、相変わらず悠君はいい加減なんだから」 悠司はもう泣きたい気分だった。 いや、泣いていた。 彼女が自分を男としてみていないのは、悲しいが分かっていたことだ。華果の自分への態度は弟と変わらない。 だが、それでも辛いものはある。 悩むまでもなく、こうまできっぱり断られるとさすがにへこむ。 姉が弟を叱るような声が、頭上から降ってくるが、残念ながらその言葉は脳で理解するより耳からすり抜けていく。 すると、不思議と低いがなかなかいい声だけはしっかりと聞こえてきた。 「まあまあ、お嬢さん。日曜でしたら私が店番をしましょう。ですから、悠さんとどうぞ、遊びに行ってください」 「え?」 「ええ?!」 驚きの声を上げたのは、華果のほうだった。 悠司はというと、聴こえたくせにいまいち内容を理解できず、放心している。 「何言ってるんですか?! 竜さんだけじゃ回らないですよ」 「大丈夫ですよ。手の空いてる者を引っ張ってきますから。陣とか晴とか」 「でも…」 出した名前はいずれも華果の母親の部下だ。彼女にとっても見知った人物なのだが、どうも納得いかないらしい。たぶん、彼女自身からくる責任感からだ。 花屋のオーナーは薫子ではあるが、実際取り仕切っているのは娘の華果だ。彼女もその自覚をしているから、忙しい日に遊ぶのは気が引けるのだろう。だが、竜也はそんな彼女の性格を理解している。なんてったって、彼女が幼いころから面倒を見てきたのは自分だ。 「いいんですよ。お嬢さんだってまだまだ若いんですから、働くより遊んでください」 サングラス越しににっこり笑って言うと、華果は申し訳なさそうに眉を下げた。彼女は人の好意を無碍にできない。あともう少し。 「息抜きしてください。日曜日だからこそやってるイベントとかもあるんですから」 ね? と可愛らしく首をかしげて見る。自分の容姿をわかっているから、きっと気持ち悪いというより怖いのだろうが、華果はそうは思わないはずだ。 案の定、彼女は息をついた。 「…わかりました…では、よろしくお願いします」 「はい、もちろんです」 にっこりと笑い返し、悠司の方を見ると、ものすごくありがたい顔をされた。無言できらきらと輝いた目をし、神に祈るがごとく胸の前で手を組んでいる。 彼に勝算はないに等しいだろうが、これくらいはいいだろう。 彼女に息抜きはしてほしいし、ちょっとかき乱すのも悪くない。 竜也は内心、その顔に似合いすぎた怪しい笑みを浮かべていた。 |
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