番外編
寝相の悪い彼女


「本当に寝てやがる…」
 自分の隣ですぅすぅと規則正しい寝息を立てる女将軍を、アサギは信じられない気持で見下ろした。
 女性が男性の隣で無防備な、という想いよりも、敵国の真っただ中でなんで堂々と寝ていられるのか、というほうがアサギの胸中にあった。だが、図太い神経の持ち主であるセシリアに言っても無駄だろうと、すぐに結論に至る。
「はあ…」
 やたら寝顔の美しい彼女にため息をつき、アサギは諦めたようにごそごそと布団の中へ入る。
 そういえばこうして彼女と並んで寝るのは久しぶりだ。本当は彼女とだけではなく、もう一人いて、やたら寝相の悪い二人に一生懸命布団をかけてあげた覚えがある。
 かけた傍から布団を蹴られたあの時は、ちょっと切なかったが…。
 この年になって、セシリアと添い寝することになるとは思わなかった。彼女の規則正しい寝息を聞きながら目を閉じる。
 と言っても、完全に眠るわけにはいかない。ここはオルアンナ、敵国だ。
 うっかり眠ってしまわないように、母国に放り投げてきた仕事のことを思い出せば、何とか乗り切れそうだ。ある程度、任せた者が処理をしてくれるだろうが、それでも自分でなければ片付かない仕事もあるだろう。
「(なんか頭痛くなってきたな。別のこと考えよう)」
 そう思って寝返りをうつ。
 閉じた先の瞼の暗闇の中に浮かんできたのは、一人の女性。花のような優しい笑顔を浮かべる、美しい、女性、というより少女。
 噂と違う彼女もまた、頭痛の種の一つのはずだが、それよりもなぜか彼女を思い出すだけで幸せな気持ちになれた。
どうして?
問いかけたところで返ってくるはずがない。
ふと、彼女が、弟と笑い合っている姿が浮かんできた。知らず歯みする。
「(…寝られなくていいが、苛立ってきたな)」
 不快感が胸に宿り、アサギは何も考えないことにした。初めからそうすればよかったのだが、警戒して眠るという行為が久しぶりだったのだ。まあ、やろうと思えば何とかできるだろうと結論付け、アサギは眠りの浅瀬へと向かう。
 が。
「?!」
 ふと、首筋がちりっとして、考えるより早く身を回転させる。
 ドゴン!
「…………」
 肩越しに音をした方を見やる。
 自分が身を横たえていたそこに、眠っているはずの女将軍の肘鉄が見事に決まっていた。
「………セシリアさん?」
「すー」
 アサギは身を起こして恐る恐る寝ている彼女に声をかける。だが、セシリアは幸せそうに眠っているだけだ。
 脱力を感じながら、肘が沈んでいるところに目をやる。気のせいだろうか、肘の周りが変に浮き上がっているのは―――――。
 明らかスプリングが破壊されているそこを眺めながら、オルアンナ側にどう説明するべきか悩んだ。
「(…弁償しなくちゃならんのかな)」
 現実逃避にそんなことを考えながら、そういえば彼女の寝相が異常に狂暴だったのを思い出す。昔、よく寝ている最中に殴られたり蹴られたりした。だが、やはりそこは小さくてかわいい女の子。苦笑いして許したものだ。
「(…だがこれは明らかに)」
 ―――殺傷力が上がっている。
 第六感で回避しなければ、自分もスプリングのようになっていただろう。考えるだけで恐ろしい。
「(いつの間にこんな怪力になったんだ? こいつ…)」
 将軍にでもなれば、そりゃあ毎日鍛錬を惜しまないだろう。だが、これは異常だ。ましてやセシリアは女性…男ほど、いや男以上の力を身につけるなど…。
「(腕は細いよな)」
 寝まきから覘く腕を見る。多少筋肉は付いているようだが、自分よりも細いものだ。ありえない、と思いながら、今日の寝所をどうするか悩んだ。
 まさかこのまま彼女の隣で寝続けるわけにはいかない。第一死にたくない。
それに、もし誰かが襲ってきても、セシリアならその寝相で見事に回避できる気がした。いや、気ではない。それはまさしく確信だ。
 暗闇に慣れ始めていた眼を凝らして、部屋を見渡す。たしかソファが備え付けられていたはずだ。そう思って枕を手に寝台を滑り降り―――
「うわあっ!」
 ドゴン!
 ――ようとしたが、次に襲って来たのは彼女の右足だった。
 アサギも武人。なんとか回避したが、心臓はバクバクとうるさかった。
「………」
 しばらく床に尻餅をついていたが、のそり、と無言で立ち上がる。そして寝台から逃げるように足早にソファへ向かった。
 敵国で自国の人間に殺されるなどごめんだ。ましてや寝相の派生でなど…!
 ソファに身を沈めて眼を閉じる。寝心地は悪いが、戦場ではぬかるんだ地面で眠ったりもしたのだ。それに比べればどうってことはない。
 さて、明日はいよいよ母国へ王女を連れて旅立つ。何事もなく辿り着ければ万々歳なのだが―――。
 どごん!!
 がす!
「………………弁償かな」
 相変わらず寝台の方で異常な音を聞きながら、アサギは心の中で泣きながら呟いた。


END

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